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原子力

四国電力、伊方原発3号機再稼働 110

ストーリー by hylom
使える物は使おう 部門より
masakun 曰く、

四国電力伊方原発3号機(89万kW)が5年4か月ぶりの再稼働を果たした(四国電力プレスリリースNHK産経WEST日経電子版)。

原子力規制委員会の新規制基準のもとでの再稼働は5基目で、高浜原発が司法判断で運転差し止め中のため、今のところ国内唯一のプルサーマル発電となっている。8月12日午前9時に原子炉を起動したと発表した四国電力によれば、8月15日に発送電を開始する予定となっているという。

どの原子力発電所も永遠に稼働するものでないので、新規制基準に適合したものは速やかに再稼働させていくことが、今後の廃炉計画を順調に進めるカギとなるだろう。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by manmos (29892) on 2016年08月12日 19時24分 (#3062367) 日記

    慶長豊後地震との連動って言われてますからね。豊後とはずれているとはいえ、熊本の地震があった直後なので不安。

    #真田丸でその4日後の慶長伏見地震をみたばかりだし。

    • by masakun (31656) on 2016年08月13日 12時33分 (#3062719) 日記

      四国電力株式会社伊方発電所3号炉の発電用原子炉設置変更許可申請書に関する審査書(案)に対するご意見への考え方 [nsr.go.jp]より

      [ご意見の概要]
      地震調査研究推進本部によれば「1596年の別府湾の地震(M7.0±1/4)などのように周辺地域で発生した地震によっても愛媛県が被害を受けたことがあります。」という記述があるが、慶長伊予地震、慶長豊後地震及び慶長伏見地震の連続地震であったはずである。
      注目すべきは、この3連続地震は、愛媛から大分に続いている点である。しかるに記録は古いとはいえ、周辺海域の地質等の調査から慶長伊予地震の規模の推定から、想定地震動を
      650ガルとしたことに合理性があるのかどうか、判断のわかれるところであろう。

      [考え方]
      敷地前面海域の断層群による地震、中央構造線断層帯全体の同時活動、さらに地震調査委員会(2011,2005)における長期評価から、中央構造線断層帯(長さ約360km)と別府-万年山断層帯とが連動する断層長さ約480kmも考慮して、申請者が地震動評価を行っていることを審査で確認しています。

      1596年 慶長伊予地震 | 古地震net [iinaa.net]をみると、「中央構造線断層帯」に沿って連動したのかもしれないと言われている地震ですね。

      ただし中央構造線断層帯(金剛山地東縁-伊予灘)の評価(一部改訂) [jishin.go.jp]をみると、

      (t)伊予灘東部断層(上灘沖地点)

       愛媛県伊予市(旧伊予郡双海町)沖の伊予灘で、小川ほか(1992)は、ソノローブによる音波探査及びピストンコアリングを行い(図31)、南北2つの断層により形成された断層凹地において短期間に厚い堆積物が形成されている層準が存在することから、2回の活動を推定した。その時期は、約4千6百-3千9百年前頃と、約7千1百-6千3百年前頃となる(注12)。ただし、新しい方の活動を示す堆積物の上位にはほとんど堆積物がなく、この活動の後にさらに別な活動があったかどうかは明らかではない。
       また、三浦ほか(2001)は、伊予灘東部海域で音波探査を実施し(図32)、断層を挟んで同一面と推定した地層の標高差が急変すること、また、大塚ほか(2001)による本地域の地層の堆積速度に基づいて推定した年代値から、約1万年前以後(注11、13)4回の断層活動があったとしている。また、大塚ほか(2001)は断層を挟んで海上ボーリングを実施し、対比基準面の標高差の急変から、三浦ほか(2001)と同様に約1万年前以後(注11、13)4回の活動があったとしている。三浦ほか(2001)に基づくと、その活動の時期は、約2千5百年前以後、1つ前が約4千7百年前以後、約2千9百年前以前、2つ前が約6千7百年前以後、約6千2百年前以前、3つ前が約9千6百年前頃(注11、13)となる。しかしながらこれらの活動はすべて1回とは限らず、複数回の可能性もある。

       以上のように、本断層帯では数多くの調査が行われており、各調査地点で認められた活動とその時期は図33のようにまとめられる。図33に示すように、本断層帯は最新活動では少なくとも4つの区間に分かれて活動したとみることができる。このうち最も西側の四国全域と伊予灘を含む区間は、最新活動よりも前の活動の際にはさらに3つの区間に分かれて活動したと推定される。また、後述のように1596年9月には数日間のうちに近畿地方の有馬-高槻断層帯、伊予地方、別府湾で地震が起こったとされている。この時に中央構造線断層帯が活動したかどうかは不明であるが、四国全域と伊予灘からなる区間は、最新活動時に比較的短い時間間隔で複数の区間に分かれて活動した可能性も否定できない。(略)
      伊予灘の上灘沖では約2千5百年前以後に最新活動があったと推定されるが、この時期の活動は1回だけであったとは限らない。したがって、伊予灘まで川上断層の一つ前の活動(活動2)の時期と同時に活動したとみることが可能である。断層トレースからも川上断層よりも西側では明確な区分はできないことから、ここでは川上断層から評価範囲の西端である伊予灘西部断層まで(以下、「石鎚山脈北縁西部-伊予灘」とする)が同時に活動したとみなすこととする。なお、川上断層の土居地点では、活動1、2を含め約4千5百年前以後に活動が4回あった可能性があるが、一方、上灘沖では、約9千6百年前以後少なくとも4回(氷見地点の資料を考慮すると少なくとも5回)の活動があったことが認められている。このように本区間の活動2よりも古い活動については、川上断層と上灘沖とで時期が異なるようにもみえるが詳細は不明である。

      伊予灘で科学調査は多数行われているものの、愛媛と大分で連動したとされる1596年での、伊予灘西部断層(伊方原発最寄りの)の活動を明らかにすることはできなかった。

      --
      モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」

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