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ニホンジンガー!ニッポンジンガー!なんかそればっかり強調するよね
英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのにジャップランドの記事だとさも一人で作りました!みたいになっちゃうのw
ナチュラル捏造国家ジャップランド
こいつの開発に関しての話をすると日本人はすごいとはならないんだな。当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。そのインテルと共同開発したのが日本企業のビジコンだがビジコンは目先の金と引き換えに金のなる木を二束三文でインテルに売っぱらっちゃった。その後日本企業はプロセッサ市場への参入にはひとまず成功したもののインテルほどの成功はなかったしメモリ市場もボロボロ。ビジコンに至っては倒産。翻ってインテルは誰もが羨む優良企業。
通産省からは「中小企業の1つや2つ倒産しても、我々は何とも思いません」と言われたってあるよ。さすが世界に誇る我が国の官僚の言うことは違いますな。
当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
何馬鹿なこと言ってんの?
歴史の時系列くらいおさらいしてから出ておいで。再提出だ、これ。
何処にメモリ市場なんてあったんだよこれほど自信たっぷりに馬鹿言う馬鹿は初めて見たかも
> 当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。> そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
そりゃ事実誤認ってやつだ。
1971年当時、メモリの最先端メーカの1つがインテルだった。1kビットのDRAMとかね。当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
日本メーカがメモリで競争力を持つ様になったのは、1976年~1980年の超LSI技術研究組合の後だわね。それから7年もしないうちに、日本メーカは集中豪雨的にメモリをアメリカに売り込む様になった。
当時は電卓需要もあってIC作ってたはずですよNECは1971年末に向河原工場で製造したμPD707・708をシャープに納入した、と手元の本に書いてあります
> 当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
'60年代後半には国産Siトランジスタがアキバで普通に買えて、初歩のラジオとか子供の科学の製作記事になってましたよ。2SC183、2SC372、2SC460、2SC517、2SC799、2SC828等々懐かしい名前がいろいろ。
たしか日本のメーカーが優位にたったのは64Kbit DRAMからだったとおもう。富士通のパソコンFM-8が64KbitのDRAMを搭載してビックリした記憶がある。
hylomじゃないんだし、「方法の体」はない。「這う這うの体」または「這這うの態」だろう。
「ほうほうのからだ」でしょ。意味は分からないけどよく使われる表現ですよ。
https://www.google.co.jp/search?q=%22%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%BD... [google.co.jp]
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
何かというと「日本人」 (スコア:-1)
ニホンジンガー!ニッポンジンガー!
なんかそればっかり強調するよね
英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのに
ジャップランドの記事だとさも一人で作りました!
みたいになっちゃうのw
ナチュラル捏造国家ジャップランド
Re:何かというと「日本人」 (スコア:0, 参考になる)
こいつの開発に関しての話をすると日本人はすごいとはならないんだな。
当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。
そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
そのインテルと共同開発したのが日本企業のビジコンだがビジコンは目先の金と引き換えに金のなる木を二束三文でインテルに売っぱらっちゃった。
その後日本企業はプロセッサ市場への参入にはひとまず成功したもののインテルほどの成功はなかったしメモリ市場もボロボロ。ビジコンに至っては倒産。翻ってインテルは誰もが羨む優良企業。
Re: (スコア:0)
通産省からは「中小企業の1つや2つ倒産しても、我々は何とも思いません」と言われたってあるよ。
さすが世界に誇る我が国の官僚の言うことは違いますな。
Re:何かというと「日本人」 (スコア:1)
Re: (スコア:0)
当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。
そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
何馬鹿なこと言ってんの?
Re: (スコア:0)
歴史の時系列くらいおさらいしてから出ておいで。再提出だ、これ。
Re: (スコア:0)
何処にメモリ市場なんてあったんだよ
これほど自信たっぷりに馬鹿言う馬鹿は初めて見たかも
Re: (スコア:0)
> 当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。
> そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
そりゃ事実誤認ってやつだ。
1971年当時、メモリの最先端メーカの1つがインテルだった。1kビットのDRAMとかね。当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
日本メーカがメモリで競争力を持つ様になったのは、1976年~1980年の超LSI技術研究組合の後だわね。それから7年もしないうちに、日本メーカは集中豪雨的にメモリをアメリカに売り込む様になった。
Re: (スコア:0)
当時は電卓需要もあってIC作ってたはずですよ
NECは1971年末に向河原工場で製造したμPD707・708をシャープに納入した、と手元の本に書いてあります
Re: (スコア:0)
> 当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
'60年代後半には国産Siトランジスタがアキバで普通に買えて、初歩のラジオとか子供の科学の製作記事になってましたよ。
2SC183、2SC372、2SC460、2SC517、2SC799、2SC828等々懐かしい名前がいろいろ。
Re: (スコア:0)
日本メーカがメモリで競争力を持つ様になったのは、1976年~1980年の超LSI技術研究組合の後だわね。それから7年もしないうちに、日本メーカは集中豪雨的にメモリをアメリカに売り込む様になった。
たしか日本のメーカーが優位にたったのは64Kbit DRAMからだったとおもう。富士通のパソコンFM-8が64KbitのDRAMを搭載してビックリした記憶がある。
Re: (スコア:0)
hylomじゃないんだし、「方法の体」はない。
「這う這うの体」または「這這うの態」だろう。
Re: (スコア:0)
「ほうほうのからだ」でしょ。意味は分からないけどよく使われる表現ですよ。
https://www.google.co.jp/search?q=%22%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%BD... [google.co.jp]