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英国

英国で260万語のイラク戦争検証報告書発表 翻って日本は?

タレコミ by Anonymous Coward
あるAnonymous Coward 曰く、
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5415.php
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5415_2.php
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5415_3.php
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5415_4.php
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5415_5.php
http://mainichi.jp/articles/20160707/ddm/002/030/177000c
http://webronza.asahi.com/business/articles/2016060900001.html
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070600476&g=int
http://www.bbc.com/japanese/video-36721301
http://www.bbc.com/japanese/34634904

7月6日、英国でイラク戦争を総括的に検証する「イラク調査委員会」(ジョン・チルコット委員長の名前から、通称「チルコット委員会」)が報告書を発表する。260万語で書かれた、膨大な書類となる見込みで、トルストイ著「戦争と平和」の4倍の長さに相当する。

英国ではイラク戦争についての大掛かりな検証作業が数回にわたって行われてきた。
03年の下院外務委員会などによる検証では、大量破壊兵器保有についての情報が確かだったかどうか、侵攻が合法だったかどうかが問われたものの、「イラクの脅威は確かに存在した」と結論付け、国民の期待に十分に添うことができなかった。
しかし、この年の5月末、BBCラジオのある報道が大きな政治スキャンダルを発生させる。02年9月に政府は「イラクが45分以内に大量破壊兵器の実戦配備が可能」とする報告書を出していた。BBCは、この報告書が「イラクの脅威を誇張していた」と報道し、「45分の脅威」の信憑性を問題視した。記者は第1報で「嘘と知りながら、情報を入れた」とうっかり口を滑らせた(後、訂正)。
政府は「誇張していたのではない」と証明するためにやっきとなり、政府とメディア(BBC)の対決となった。
外務委員会が調査を開始し、証人として呼ばれた一人が国防省顧問のデービッド・ケリー博士だった。召喚の数日後、ケリー博士が遺体で発見された。後になって、博士が先のBBC報道の重要な情報源だったことが判明する。
博士の死をめぐる事実関係を解明するために行われたのが「ハットン調査委員会」だ。ブレア首相やほかの政治家、諜報情報組織の幹部、BBC関係者など70人が召喚され、その模様は動画中継された。
この時、正式には博士の死をめぐる調査委員会ではあったが、多くの人がいかに侵攻までの過程が違法であったのか、いかにブレア政権が「嘘をついて」国民を戦争に連れて行ったのかが解明されると思っていた。ところが、04年1月に発表された報告書は、博士の死を自殺と結論づけたのは妥当ではあったものの、BBCの報道は誤報とし、政府が情報を誇張した事実はないとしたために、大きな衝撃となった。
BBCの経営陣トップ、二人は引責辞任をした。トップ二人が一度に去るのは前代未聞である。

大々的な調査を行ったハットン委員会でも「ブレア氏の嘘」は証明できなかった。しかし、このときまでに開戦前にあると言われた大量破壊兵器はまだ見つかっていなかった。
そこで、イラクの混迷への責任を問うためにも、政治的な決断も含めての総括的な検証のために立ち上げられたのが、2009年7月ゴードン・ブラウン首相(当時)の提唱によって設置されたチルコット委員会だ。
調査の目的は、「2001年から2009年7月末までの、英国のイラクへのかかわりの検証」(委員会のウェブサイトより)だ。どんな政治的な決断があり、どのような行動がとられたかも含め、「何が起きたかをできうる限り正確にかつ確実に把握することで、どんな教訓が学べるかを特定する」ことを狙っている。
09年11月から英国内外の政治家、軍事関係者、外交官などに対する公聴会が始まり、2011年2月まで続いた。約150人が証人となり、公聴会の模様はウェブサイト上で同時発信されたほか、提出された書類とともにアーカイブとして残されている。委員会は15万点に上る政府書類にも目を通した。
2011年に公聴会が終了後、報告書の発表までに5年を要した理由として、集められた情報が巨大であったことや、事実関係や機密事項が不用意に公開されていないかどうかの確認、また関係者による内容の検証(報告書の批判に対し、該当者が申し立てをする機会が与えられる)があったと言われている。

この壮大な報告書を通読・精読する日本人は極限られているだろうが、誰か読みませんか?

なお、このイラク戦争における「エスタブリッシュメント(社会の支配者層)への信頼感崩壊が、今回の英国EU離脱国民投票裁可に繋がっているのだろうから、バカに出来ない話である。

イラク戦争を仕掛けた米国は、開戦の根拠となった大量破壊兵器がイラクで見つからなかったことを受けて批判が高まり、原因究明を続けた。最初の報告書は上院情報特別委員会が04年7月に発表。開戦に都合の良い情報だけを重視したとしてCIAの組織改革を強く求めた。05年3月の独立調査委報告も同様の結論を下した。06年にはベーカー元国務長官らの調査委が発足。当時のブッシュ大統領やブレア英首相など170人の聞き取り調査を実施し、イラクからの撤退を強く呼びかけている。
上院情報特別委はその後も調査を続け複数の報告をまとめた。08年には報告書をとりまとめたロックフェラー委員長(民主)が「ブッシュ政権は偽って米国を戦争に導いた」との声明を発表している。

翻って日本政府はイラク戦争支持は間違っていなかったとの立場を堅持。世耕弘成官房副長官は6日の記者会見で「核心はイラクが大量破壊兵器の不存在を自ら積極的に証明しなかったこと」と強調した。
当時の小泉純一郎首相は、米国が武力行使に踏み切った場合は支持すると発言。開戦後に日本が人道支援や周辺国支援を行う方針も表明した。
政権交代後の民主党政権は12年12月に「対イラク武力行使に関する我が国の対応」との検証結果を発表。国連を中心に外交的な働きかけをしてきたことなどは「概(おおむ)ね適切」としながらも、大量破壊兵器の存在を確認できなかったことは「厳粛に受け止める必要がある」と結論づけた。ただ、民主党は野党に転落した後の13年3月「小泉政権が米国などの武力行使を支持した経緯がきちんと説明されていない」(当時の海江田万里代表)と「自己批判」した。

日本では、当時の判断ミスを今更蒸し返したくない自民党等の右派と、対外情報工作能力の不足と対外情報工作機関整備拡充勧告の結論が判り切っている野党等の左派は、暗黙の了解でこれ以上の追求を避けるだろう。
さてこのままで良いのだろうか?

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