世界最初期のマイクロプロセッサの1つ「Intel 4004」、45周年 56
ストーリー by hylom
もう45年 部門より
もう45年 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、
今年11月15日で、黎明期の1チップマイクロプロセッサ「Intel 4004」の出荷から45年が経過したそうだ(Intel 4004 —
35th45th Anniversary Project、Slashdot)。4004といえば、日本人エンジニアの嶋正利氏が開発に携わっていたことでも知られている。10年前の2006年には嶋正利氏がITproにその回顧記事を寄稿しており、その経緯をうかがい知ることができる(ただし連載目次はまともに機能していない)。
きりが悪くね? (スコア:1)
なんで45年なの? 4004年たったら起こしてくれ。
Re:きりが悪くね? (スコア:1)
Re:きりが悪くね? (スコア:2)
月間ASCIIが256号記念を花々しく祝ってましたが
付き合いのある会社に記念号の話をしたら「はい?」みたいに言われたそうで
Re:きりが悪くね? (スコア:1)
16進にしたらちょうど0x2dじゃないか。
#何がちょうどなのかわからないのでAC
#itproは連載管理IDが死んでいるようですが、お名前で検索してやればほぼ連載をカバーできるようです。
# http://itpro.nikkeibp.co.jp/search/index.html?q=%E5%B6%8B%E6%AD%A3%E5%88%A9 [nikkeibp.co.jp]
Re: (スコア:0)
じゃあ遺書に4004年たったらあなたを起こすよう書いとくのでちゃんと寝ていてくださいね。
永眠じゃダメですよ。
Re: (スコア:0)
現実を見るんだ。君に子孫はいない!
今の知見で設計したら (スコア:1)
同じトランジスタ数でもっといいものができるんでしょうか。
設計をpublic domainにしてくれたら教材として面白いのかも
#既にやってたりして
Re:今の知見で設計したら (スコア:1)
Re: (スコア:0)
大学の情報工学科なら、論理回路を組み合わせてオリジナルCPUを作る演習をしている所が今でもあるかもしれない。
今だとVerilogでRTLかいてシミュレーションで実行確認するんでしょう。
条件をつけないでオリジナルCPUを作るだけなら難易度は低いよ。
Re:今の知見で設計したら (スコア:1)
同じトラジス多数なら同程度のものしか出来ません
4004がpublic domainにならなくても、自分でプロセッサは設計できます
Re:今の知見で設計したら (スコア:2, 参考になる)
Fラン大学の情報系卒だけど、30年程前の昔にTTLとで4bitのプロセッサを作る実習科目がありました。
半加算器の学習から始めて、最終的には提示された仕様のプロセッサをラッピングで配線して動作させるまでやりました。
最終課題はオリジナルの命令の追加だったかな。
他の情報系と比べるとショボイ内容だけど、もっと良い学歴のあなた方ならi4004をデータシートから起こすなど楽勝のはず。
別の実習科目でP-CODEのコンパイラも作らされたり教授陣はちゃんとしたカリキュラムを提供しようと頑張ってたんだと感謝してます。
# ちゃんと身についたかどうかは怪しいけど、必要なことは既に教わってる感がある。
Re:今の知見で設計したら (スコア:1)
数々の周辺特許のトラップをすり抜けられるのならそれはすばらしいことだ。
Re:今の知見で設計したら (スコア:1)
数々の周辺特許のトラップをすり抜けられるのならそれはすばらしいことだ。
ツッコミその1:
今じゃとっくに当時の特許は切れてます。
ツッコミその2:
仮に有効な特許があったからと言って、その技術を使って設計しても何も問題ありません。
それで商売したら特許紛争になる可能性が出てきますけど。
Re: (スコア:0)
> もっといいものができるんでしょうか。
どうでしょうね?
初代ファミコンなんかRAM/ROMそれぞれ2KBだけど、今それでもっといいゲーム出来るかというと...
同じことする製品を10万倍のRAM搭載機で作ってるぐらいだし...
Re: (スコア:0)
ファミコンのROMが2kB? VRAMかなんかを勘違いしてませんか?
Re: (スコア:0)
初期タイトルで24kBのカートリッジか。
ファームウェア的なものは無かったよね?
Re: (スコア:0)
初代ファミコンなんか
6502(互換)であることの重要さを知るべきではないでしょうか。
# もはや戦争する宗教も途絶えましたが。
Re: (スコア:0)
6502(互換)であることの重要さ
当時としても現在でもそんなもんないでしょ。
Re: (スコア:0)
おもしろいって何がどう面白いんです。ひたすらトランジスターが並んでいるだけでしょ
Re: (スコア:0)
とりあえず古いものはクレクレ言ってみるタイプなんでしょう。
漠然と高尚そうな理屈つけてくるところからして。
Re: (スコア:0)
とりあえず、ここらあたり [mynavi.jp]でも読んでみたら?
RTLを書ける人なら4004的な動作をする回路を作れるでしょう。
# これ [amazon.co.jp]がお薦め
ラジオデパートの地下で見た (スコア:0)
数年前確かに見たことだけは覚えてるのですが売り物だったのか展示(?)だったのか
あれ今でもあるんでしょうか?
#生まれたときからPentiumがあった若造なのでAC
Re:何かというと「日本人」 (スコア:3, すばらしい洞察)
なぜか、日本以外ではもう一人のほうが「アレは俺がやった」と言っているようだが、
嶋が8080/Z80も設計したことを考えると、嶋のほうが大きかったと考えるのが普通
Re:何かというと「日本人」 (スコア:2)
ジャップランド君そろそろID取ってよ、みんなが平和に過ごせるから
#各種メディアの日本すごい日本最高バイアスは私も嫌いなのでID
Re:何かというと「日本人」 (スコア:1)
ちゃんとsadakenってID持ってるよ
すっごいチキン
Re: (スコア:0)
NGぶっこむからID明かせってそら無理筋過ぎるだろwww
Re:何かというと「日本人」 (スコア:1)
>英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのに
そりゃマイクロソフトだって宣伝するなら「パソコンOSはマイクロソフトが作った」「パソコンはマイクロソフトが広めた」って宣伝すると思う。
都合の悪い部分はあまり大きな声では言わない。
#CP/M? Apple IIなにそれ美味しいの?
そして少なくともインテルの偉いさん(CEO?)が彼をビジコン社まで「引き抜きにきた」って読んだけどな。
手伝いかどうかはともかく、彼の力が必用とされたのは確かなんじゃね。
ところで、「我が青春の4004」 [amazon.co.jp]って読んだ人います?
気にはなっているが、なにせ絶版だわ、電子化もされそうにないわでねえ。
せめて感想だけでも聞ければと。
Re:何かというと「日本人」 (スコア:2, 参考になる)
手元に第1刷がありますが、4004に限って言えば開発の経緯や技術的な説明はITProのほうがやや詳しいです。
本はビジコン入社から4004の開発、8080やZ80の開発を経て簡単ですがZ8000まで触れていますので後半は駆け足っぽい。
でも、産業の黎明期ならではの熱気が感じられて読んでて面白いですよ。図書館などで探せばあると思うので一読をお勧め。
ところどころ具体的な(当時の、今はとうにすたれた)作業(「ルビーを切る」とか)や、当時のシリコンバレー生活のエピソードなどが今見るとたいへん興味深いですし。
Re: (スコア:0)
かなりのプレミアを払って手元にありますが、僕に興味があるの? いいよ、何でも聞いてよ
Re: (スコア:0)
都合の悪い部分はあまり大きな声では言わない。
マイクロソフト日本法人は一時期技術者向けの宣伝のときに中島聡前面に押し出していたような気もしますが。
なんだかんだでウィンドウズ95はウィンドウズにおける重要なマイルストーンですし。
meにかかわらずに済んだのはあの人にとっては幸運だったな。誰がやってもmeはああなったとは思うが。
ああでも中島さんはマイクロソフト社員だから特に都合の悪い話でもないか。
マイクロソフトの都合の悪い話といえば開発を始めてもいないソフトの完成品を持っているなどと称して契約を獲得。大急ぎでその手のソフトを持ってる会社を買収してどうのこうのとかそっちか。
Re: (スコア:0)
昔、図書館のやつを読みました。
i4004と嶋氏については複数の媒体で読んだので、記憶がごっちゃになってる可能性もありますが、、、
「インテルに計算機用のICを作ってもらうことになった」
「インテルには製造プロセスの専門家は多いけど、ロジックの専門家があまりいないので、自分が行くことになった」
「小さなコンピュータにするというアイデアは、向こうが持ってきた」
「自分はコンピュータなんて聞いたことがある程度だった」
「インテルの人間は記念に自分の名前入りのチップを作っていた。自分は家紋を入れてもらった」
とか憶えています。
アーキテクトとして働いたというより、ロジックの設計した、って感じなのでは。
コンピュータ使ったことないって書いてましたし。
Re: (スコア:0)
> コンピュータ使ったことないって書いてましたし。
いえ、入社当時は(今でいう)情報システム部門で三菱製コンピュータを使ってコボラーやってたそうです。
といっても大学は化学専攻だしそれが嫌で電卓部門に異動させてもらったとのこと。
> アーキテクトとして働いたというより、ロジックの設計した、って感じなのでは。
これはその通りのようですね。アーキテクチャのアイディアを出したのはテッド・ホフ。ただ、回路設計(ロジック設計をトランジスタ回路におとしてマスク設計に回すまで、かな)もインテルの人手不足もあってフェデリコ・ファジンの補佐の形で参加したようです。
Re: (スコア:0)
WILLIAM ASPRAY , The Intel 4004 Microprocessor: What Constituted Invention?
http://buzzpdf.com/in/intel-4004-doc-pdf.html [buzzpdf.com]
を読んでくださいよ
IEEEが25周年のときにあちこちにインタビューしてまとめた記事ですよ
「英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのに」
「小さなコンピュータにするというアイデアは、向こうが持ってきた」
とか勘違いも甚だしいです
ビジコンが開発資金をだして嶋さん設計のCPUの開発をインテルに依頼
嶋さん
Re: (スコア:0)
時雨、行くよ
> ビジコンが開発資金をだして嶋さん設計のCPUの開発をインテルに依頼
> 嶋さん設計CPUは1チップのものでなくインテルのTed Hoffが4bit1chipにしたほうが作りやすいと提案
ビジコンが持って行ったのはマクロ命令(正体不明)、ホフの
「『4ビットのCPU』という新しいアイデアの提案に、我々はあっけにとられた」と書いてあるホフ
> Ted Hoffの案採用。Ted Hoffは概念提案だけ。
「このようにして、ホフの最初の提案と、我々が当初考えていた電卓用LSIとの折衷案ができ上がった」と書いてあるホフ
Re: (スコア:0)
当方も図書館で目を通しています。
リンク先の広告(メインフレームがゲジゲジになってる)が転載されてたことを覚えています。
http://4004.com/4004-announcement.jpg [4004.com]
今じゃ半ば当たり前ではありますが。
Re: (スコア:0, 参考になる)
こいつの開発に関しての話をすると日本人はすごいとはならないんだな。
当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。
そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
そのインテルと共同開発したのが日本企業のビジコンだがビジコンは目先の金と引き換えに金のなる木を二束三文でインテルに売っぱらっちゃった。
その後日本企業はプロセッサ市場への参入にはひとまず成功したもののインテルほどの成功はなかったしメモリ市場もボロボロ。ビジコンに至っては倒産。翻ってインテルは誰もが羨む優良企業。
Re: (スコア:0)
通産省からは「中小企業の1つや2つ倒産しても、我々は何とも思いません」と言われたってあるよ。
さすが世界に誇る我が国の官僚の言うことは違いますな。
Re:何かというと「日本人」 (スコア:1)
Re: (スコア:0)
当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。
そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
何馬鹿なこと言ってんの?
Re: (スコア:0)
歴史の時系列くらいおさらいしてから出ておいで。再提出だ、これ。
Re: (スコア:0)
何処にメモリ市場なんてあったんだよ
これほど自信たっぷりに馬鹿言う馬鹿は初めて見たかも
Re: (スコア:0)
> 当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。
> そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
そりゃ事実誤認ってやつだ。
1971年当時、メモリの最先端メーカの1つがインテルだった。1kビットのDRAMとかね。当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
日本メーカがメモリで競争力を持つ様になったのは、1976年~1980年の超LSI技術研究組合の後だわね。それから7年もしないうちに、日本メーカは集中豪雨的にメモリをアメリカに売り込む様になった。
Re: (スコア:0)
当時は電卓需要もあってIC作ってたはずですよ
NECは1971年末に向河原工場で製造したμPD707・708をシャープに納入した、と手元の本に書いてあります
Re: (スコア:0)
> 当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
'60年代後半には国産Siトランジスタがアキバで普通に買えて、初歩のラジオとか子供の科学の製作記事になってましたよ。
2SC183、2SC372、2SC460、2SC517、2SC799、2SC828等々懐かしい名前がいろいろ。
Re: (スコア:0)
日本メーカがメモリで競争力を持つ様になったのは、1976年~1980年の超LSI技術研究組合の後だわね。それから7年もしないうちに、日本メーカは集中豪雨的にメモリをアメリカに売り込む様になった。
たしか日本のメーカーが優位にたったのは64Kbit DRAMからだったとおもう。富士通のパソコンFM-8が64KbitのDRAMを搭載してビックリした記憶がある。
Re: (スコア:0)
マイクロプロセッサ誕生のサクセスストーリーを見るに、その後もうまくやった日本人は嶋氏ひとりの印象。
要するに例外じゃないかな。
Re: (スコア:0)
ソースはこの [ethw.org]あたりか?
確かに嶋に関してはそう評価は高くなかったが、佐々木 [wikipedia.org] は持ち上げていたような気がするな、数年前に読んだので少々おぼつかないが。
いずれにしろ、どこかの国は微塵も出てこない時代の話なんだけど。
Re: (スコア:0)
そりゃどこかの国ことソ連は鉄のカーテンの向こうですからね。
Re: (スコア:0)
ネットで調べると佐々木氏のことがわんさかでてきますね
ネットにない情報では彼の自伝によると、最初にNECに接触したが工場のキャパシティを超えるということで断られたビジコンをインテルに紹介したとも
Re: (スコア:0)
Intelの社員でも無いのだから、Intelから見たらお手伝いにしかならないのは当たり前