あの360度回転体感ゲーム筐体、セガ「R360」の開発裏話 41
プレイしてると意外と酔わない 部門より
このオーストラリアにあった謎のマシンは、R360と同じく人が乗り込みX(横)・Y(縦)・Z(奥行)の3軸で回転するという実験機のような筐体だったという。ちなみにその筐体にはセガの「アフターバーナー」が勝手にインストールされていたそうだ。この筐体を超えるゲーム筐体の開発を始めたことが、のちのR360プロジェクトにつながったとのこと。
tamaco 曰く、
1990年に稼働開始した究極の体感ゲーム筐体「R360」機械系設計者に関する記事。
現在,セガで企画設計生産本部参事を務める吉本昌男氏。本当はバイクメーカーのヤマハ発動機に入りたかったが不採用だった。1987年セガ入社し、3年後にはR360をの機構設計を担っている。もう1人のキーマンはR360の開発チームを率いた松野雅樹氏(現在はセガを退職)。2年早い入社の松野氏は入社後すぐ,鈴木 裕氏が指揮していた「ハングオン」の開発に参加。「スペースハリアー」(1985年リリース)では駆動部分を設計したという。
その後も「アウトラン」(1986年リリース),「アフターバーナー」(1987年リリース),「バーチャレーシング」(1992年リリース)など,鈴木氏が手がけた体感ゲームの筐体設計を担当した。
入社3~5年の新人が海外を飛び回り、今までになかったゲームを作り上げていく社風はすごいものがある。
「開発当時は残業休日出勤が当たり前で,1年間で出社しなかった日が6日だけ」「当時のセガは,昇格に際して協調性などより強靱性,つまりどれだけタフに働けるかを重視していて,強靱性評価試験があった」というのは、今でいうなら超ブラック企業な面もあった。
セガに関しては、クリエイター鈴木裕(スペハリ,バーチャシリーズ)、プログラマー中裕司(スペハリ,ソニック)、音楽の川口博史(スペハリ,アウトラン)など今までも記事になった天才たちも多いが、同世代にはまだまだこのような記事化されてない面白い話が多そうである。このような記事を書ける著者 黒川文雄氏だからによるところが大きいので今後も期待したい。