
訃報: Richard Sapper氏、IBMのThinkPadをデザイン 17
ストーリー by headless
訃報 部門より
訃報 部門より
IBMでThinkPadをデザインしたRichard Sapper氏が12月31日に83歳で亡くなったそうだ(Phaidonの記事、
Co.DESIGNの記事、
The Registerの記事)。
Sapper氏は1932年ドイツ生まれ。ミュンヘン大学を卒業後、シュツットガルトのDaimler Benzでデザインの仕事を始める。その後イタリア・ミラノに移転し、1960年代の初めにはイタリア人デザイナーのMarco Zanuso氏とともに、電機メーカーBrionvegaのデザインコンサルタントを務める。Zanuso氏とともにデザインしたラジオなどは米国・ニューヨークのMoMAに収蔵されているほか、Sapper氏のデザインした製品は数多くの美術館に収蔵されている。1970年代にはFIATで「X 126 Softnose」や「Bus for Bicycles」といったコンセプトカーをデザインしている。また、1968年と1979年にはミラノ・トリエンナーレの開催にかかわり、1972年にはZanuso氏との共作で、移動可能なユニット型の家というテーマによる作品をMoMAの「Italy, the New Domestic Landscape」展(PDF)に出展している。
1980年にはIBMのチーフ産業デザインコンサルタントに就任し、1992年に最初のThinkPadのデザインを生み出す。キャリアを通じてSapper氏は学術に関わり続け、イェール大学やウィーン応用美術大学など、多くの大学で教鞭をとった。
2013年にSapper氏は、Dezeenのインタビューに対して「(良いデザインは)それを見る者や手にした者すべてにメッセージを送らなくてはならない」「どのようなメッセージかはまた別の問題だが、とにかく何かを伝える必要がある」と語ったとのことだ。
Sapper氏は1932年ドイツ生まれ。ミュンヘン大学を卒業後、シュツットガルトのDaimler Benzでデザインの仕事を始める。その後イタリア・ミラノに移転し、1960年代の初めにはイタリア人デザイナーのMarco Zanuso氏とともに、電機メーカーBrionvegaのデザインコンサルタントを務める。Zanuso氏とともにデザインしたラジオなどは米国・ニューヨークのMoMAに収蔵されているほか、Sapper氏のデザインした製品は数多くの美術館に収蔵されている。1970年代にはFIATで「X 126 Softnose」や「Bus for Bicycles」といったコンセプトカーをデザインしている。また、1968年と1979年にはミラノ・トリエンナーレの開催にかかわり、1972年にはZanuso氏との共作で、移動可能なユニット型の家というテーマによる作品をMoMAの「Italy, the New Domestic Landscape」展(PDF)に出展している。
1980年にはIBMのチーフ産業デザインコンサルタントに就任し、1992年に最初のThinkPadのデザインを生み出す。キャリアを通じてSapper氏は学術に関わり続け、イェール大学やウィーン応用美術大学など、多くの大学で教鞭をとった。
2013年にSapper氏は、Dezeenのインタビューに対して「(良いデザインは)それを見る者や手にした者すべてにメッセージを送らなくてはならない」「どのようなメッセージかはまた別の問題だが、とにかく何かを伝える必要がある」と語ったとのことだ。
ThinkPad、おまえはもうに死んでいる (スコア:2)
Lenovoに売られた時点で終わった
Re: (スコア:0)
うろ覚えで申し訳ないが、Appleがデザインを採用した機器があったと記憶している。
わたしはその時点が死んだ時点と考える。
バウハウスを彷彿とさせるものがあるけど (スコア:1)
代表的なデザイン [richardsapperdesign.com]のうちケトルの形状見てもしかしてと思ったが、チューニングされてて和音が出せるっぽい。
このへんの遊び心はバウハウスにはないものだな。
オフトピだけど (スコア:1)
ストーリのタイトルが、
悲報: S藤K士和氏、{中略}をデザイン
みたいな感じに思えた。
Re: (スコア:0)
これもデザインネタながらオフトピ。
学生時代、当時隆盛を誇っていた一眼レフカメラのはなし。
ニコンは、F3、EM、F4と、ジュージアーロの筐体デザインを採用するようになった。
キヤノンは、T90、EOS以降、ルイジ・コラーニの筐体デザインを採用するようになった。
ミノルタ(現在SONYに吸収)も、α7700以降、ハンス・ムートの筐体デザインを採用するようになった。
自称カメラ王国なんてこんなもんだと思った。
Re: (スコア:0)
ドイツもイタリアも自動車大国だが、著名な日本人デザイナーがいた(おふたりともいまは日本に帰国してしまいましたが)。
良い産業デザインは国境を越える力があるというだけの話でしょう。
むしろデザインを軽視しがちな日本メーカーの中では、カメラ業界は早くから真剣に取り組んでいたということでは?
Re: (スコア:0)
主語は日本(の誰か)で、カメラ王国を自称していながらカメラの筐体デザインで外国人に頼りっきりって揶揄してるんでしょ。
Re: (スコア:0)
タイトルの付け方が悪いですね。文字数が限られる新聞などでもそこまで省略しません。
文字数を減らすことに頭がいっていて入れるべき情報まで切り捨ててしまっている。
「○○氏が死去」と書いた後に主な業績を並べるべきでしょう。
このタイトルだと、新聞の記事の部分と「おくやみ」欄との区別がついていない感じですかね。
バタフライの人だった (スコア:1)
ThinkPad 701(バタフライ)のデザイナーさんだったのか。
あこがれのマシンでした。(当時のフラグシップ・モデル)
notice : I ignore an anonymous contribution.
Re: (スコア:0)
結構いい値段してましたね。ジャンク屋で見つけたとき、同じく見つけた人の大半が同じことをしたと思うのですが
開けたり閉めたりしながら買うかどうかかなり迷って、結局断念しました。
Re:バタフライの人だった (スコア:1)
当時のフラッグシップモデル ThinkPad 755 シリーズが Pentium 搭載のご時世に、
701は i486DX4/75MHz でしたから。Windows が広まってジャンク屋に並んだ時には
かなりハードウェアスペックが見劣りするものだった。
PC-DOS+Windows 3.1 の組み合わせや OS/2Warp ならスペック的に十分だったんです
けどね。
ちなみに初代 ThinkPad X1 Carbon のデザインも手によるものだったとか。
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re: (スコア:0)
ニューヨーク?の設計で当時のlinuxやfreebsdを動かすのも一筋縄ではいかなかったような
Re: (スコア:0)
あの変形ギミックは面白いしカッコイイですね。