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X68000のは何が凄かったの?これはファミコンミニみたいなノリなの?
1987年当時の日本のパソコンは8ビットが主流で16ビットは個人所有でも仕事用の高級機扱いだったのですが、その中で堂々とホビーワークステーションを名乗り実装も68000にOPMにADPCMに6万色表示と話題性は抜群でした。 16ビットだと仕事用なのでインテルの86系CPUでビープ音のみ(良くてPSGかOPN・・・いやあったっけ!?)で8~16色表示の時代です。 そんな時代に、標準添付でグラディウスとか。 1985年のゲームですが、商品寿命がまだまだあるモノを標準添付アプリとか前代未聞だったんです。 データの吸い上げとかまだ無かった時代なので、データもプログラムも目コピだそうです。 開発者曰く『1ドットでも間違えたら腹を切る! ・・・1ドットぐらい、間違えたかな?』 ハード的にはI/Oポートを採用せず全てのハードウエアは16MBのメモリアドレス上にマッピングされていたので、68000の機能でメモリ保護されている場合を除きメモリ代入だけで機能実行出来ました。 ついでにテキスト画面もグラフィックとは別のプレーンで存在したのですが、ハードウエアレベルでは4プレーン重ねで16色表現出来るグラフィック画面で、色々と応用されました。 特に98からの移植に、安易な威力発揮していました。 ちなみにOSはHuman68kと言うのですが、性能発揮するにはMS-DOSライクなコマンドラインをUIにする必要があったのですが、ランチャとしてコマンドラインとは別のビジュアルシェルと言うGUIが用意されていました。 実行ファイル名はvs.x。 今見てもカッコイイです。
今の基準で語ると、ソフトで出来る事をわざわざハードで実装していたマシンです。 でもその今に繋がる発想のヒントを多くの人に与えた、夢を見させてくれたハードウエアです。 半ば信仰とも言えますね。 アセンブラの高速性を教えてくれて、GCCで自前で書く事の無意味さも教えてくれた、教師であり反面教師でもあった環境です。
僕のパソコンには翼がある・・・はMZ-2500でしたか。 でも私には68がそうでしたね。 24ドットフォントと半角平仮名フォントを組み合わせて送り仮名システムを書いたりして遊んでいました。# この通り過去に信仰していた身なので、事実以上の事は聞き流して下さい。
「パーソナルワークステーション」では?
おっしゃる通りです。文脈での言葉選びを間違えました。
早期にGNUツールチェーンが移植されたことで、廉価に優れた開発環境が整ったことも魅力でした。pcm8とかpanicとかko-windowとか、ハードの限界をソフトで越えることができた。susie.xとかFAT32とか、バッテリバックアップされたSRAMディスクにデバイスドライバを置くことで、大容量HDDやMOやCD-ROM等Humanが未知のデバイスやファイルシステムに対応できた。Xcellent30とか040turboとかSxSIとか、本体の機能や性能を拡張できた。
ed.x上位互換エディタやMicroEmacsで満足しちゃったのか、フルセットのGNU Emacsがないのが不思議でした。TeXですら移植されたのに、誰かが移植するかもと互いに遠慮しちゃったんでしょうか。
ED.x自体がMIFESライクなエディタで(当時としては)とっつきやすかったし、上位互換のED.rやSuperED.xも使いやすかった。個人的にはこの辺で満足してた。SX-WINDOWに日常の環境を移してからはシャーペン.xで十分だったし。
MY.xっていうまんまMIFESっぽいのもあったけど、マクロ機能があったかは覚えてない。
結局今に至るまでEmacsには手を出さずじまいだった。終了のさせ方ぐらいしか知らない。削除や移動系のキーバインドはEmacs風なんだけどね。以前はMac使ってて慣れちゃったし。
ed.x上位互換エディタやMicroEmacsで満足しちゃったのか、フルセットのGNU Emacsがないのが不思議でした。
知らなかっただけじゃねhttp://tanehp.ec-net.jp/heppoko-lab/prog/zakki/emacs/emacs.html#Nemacs... [ec-net.jp]
あったんですね。知らなかった。当時どこで配布されていたんだろう。画面キャプチャを見て思い出しましたが、X68のテキスト画面は実質グラフィック画面のため、フォントを自由に変更できタケルでも対応フォントを売っていました。
エトプリフォント使ってたっけな。
「エトワールプリンセス」というゲームで使われていた、ギャル文字?丸文字?なフォント。確か仮名や記号のみだったので、漢字は別のフォントで補完。
当時のCONFIG.SYS見ると↓って書いてあるけど、漢字部分のフォント名分からん。device = a:\sys2\hiocs.x a:\sys2\font\marugol.fon a:\sys2\font\etpri.fon
フォント製作者のご厚意で、タケルで売られていたフォント製品が、非商用無料で以下からダウンロードできるようです。http://silo.la.coocan.jp/FONT/ [coocan.jp]
ファイル名が違いますが、この秋葉原16という丸ゴシックフォントではないでしょうか。
>データもプログラムも目コピだそうです。
いえ実際は普通にROMの吸出しですよ。ファイルの中身にいっぱい残骸がありました。
「X68000の」は何を指しているのかしら・・
1987年発売でこんな感じのが動いたhttps://emu-portal.com/x68000.html [emu-portal.com]
# x86互換ならエミュである程度再現可能なので筐体なんて飾りですみたいな
>X68000のは何が凄かったの?
「の」はタイプミスとして真面目に答えるけど、搭載されていた MC68000を当時個人向けPCに多く採用されていたIntel-8086と比べると分かりやすい。
【Intel 8086】1978年~命令セット= 16ビット、トランジスタ数=約 29000、最大メモリ 1 MB8ビットの 8080 との互換性重視で完全な 16 ビットとは言い難く、随所に8ビットのしがらみがみられる。 【MC68000】1980年~命令セット= 32ビット、トランジスタ数=約 70000、最大メモリ 16 MB従来品との互換性は考慮せず、完全な16ビット設計を目指したらしい。
MC68000はミニコンクラスでも使われていたという実績からも性能の高さが伺える。
まあ投資が集まるx86の改善についていけずあっという間に廃れたけどね。後年のRISCでもまったく同じパターンで失敗を繰り返してるし。別にモトローラが取り立てて無能なわけではなく、Intel自身もIA64で同じ失敗をしてるけど
>まあ投資が集まるx86の改善についていけず
80286:1982年~命令セット=16ビット、トランジスタ数 134000、最大メモリ 16MB
80386:1985年~命令セット=IA-32、トランジスタ数 275000、最大メモリ 4GB
単にIBM PCに採用されなかったのが運の尽きってやつ
68Kじゃないけど6809搭載してたマッキントッシュの値段が高すぎて買えたもんじゃなかったたともゆー
09乗せてたのはApple I/II/III ですよ (IIGSは65816)
あと、ジェフ・ラスキンが作ったMacintoshの試作機。
なに?ここボケにボケをぶら下げるツリーなのかwMOSTEKが浮かばれないぞ
そうみたい。MOS Technology はもっと浮かばれない。
>なに?ここ ↑ 君こそなによ?
>ボケにボケをぶら下げるツリーなのかw ↑ 何、スラドのポリシーに文句つけてんのよっ!
>MOSTEKが浮かばれないぞ ↑ なんだ、ちゃんと分かってるじゃないの
ややこしいことにMostek と MOS Technology は別の会社です… // 6502はMOS Technology、65816はWDC
Appleが採用したのはSynertek版だが?
インテルの80486とほぼ同時期にモトローラが68040出してた頃まではいい勝負してたと思うよ。
そうだねMC88000は黒歴史だね(アレ?
#実は使ったことあるw
もともと、通信機器メーカーで半導体専業メーカーではなかったため、自分たちが必要なMPUが世の中にないから、仕方なく作ったMPUを開発費回収ついでに外販した、程度の意志だったので、自分たちの必要としない高性能高機能のMPUの開発からは、開発費のかさむようになって手を引いた、ってだけですね。細々と68060とか88000とかPowerPCとか作った人たちは、今見たくファウンダリ専業メーカーによりファブレスが成り立つなら、とっくにモトローラを飛び出していたでしょうね。6800を作った後に6502を作った人たちはあまり恵まれなかったようですが。
まず68000自体について付け加えれば、リニアなメモリ空間とか綺麗な命令やレジスタセットとか、まだアセンブラで色々やってた時代には感覚的に気持ち良かったというのがある。あと、レジスタが32ビットあったんで、32ビットCPUの気分を味わえたし。そういう点を踏まえて、「X68000」という名前にした辺りわかってるなーと思った。
で、それを音や画像等のホビー向け機能で飾ってくれたわけだよね。
先に6809や68000を知ったせいで、仕事上86系を扱うときのみじめさと戦う苦労があった。
6809に比べたら86のほうがまだマシだろ
X68000よりずっと後に出て、CPU に 80386を搭載して広告打ちまくっていた FM TOWNS [wikipedia.org] が全くと言っていいほど評価されなかった。もし FM TOWNSがMC68000を採用していたら、私も買っていたかもしれない。
CPUもそうだけど、X68000 はグラフィックチップが凄かったのよ。ゲーム作りにはほぼ最高のスペックと言って良かった。X68030 の時にグラフィックメモリを増やして、768×512 で6万色出せたらもっと魅力的なマシンになっていたのに。
>768×512 で6万色出せたら
え? 出せてましたよ?(768x512モードのアスペクト比で)SX-WINDOW3.0の売りの一つがそれじゃなかったかな。
#CTRCさんが頑張った。
いや、出来るけど出来ませんよ。X68000はテキストVRAMとグラフィックVRAMがそれぞれ512KBいかない。いや、当時的には画期的な大容量だけど。
で、グラフィックVRAMは、4bit(16色)、8bit(256色)、16bit(65536色)の3種類の色モードがありますが、16bitモードの場合は、512KBは512x512ピクセル分の広さしかありません。768x512の解像度モードでも6万色表示は可能ですが、その場合は全画面には表示できず、そのモードにすると512x512をタイル表示(繰り返し)になります。
一方のテキストVRAMはテキストVRAMといいつつ、PC-98のグラフィックVRAMと同様の4プレーンビットマップ方式で、1024x1024で、4bit=16色発色。SX-Window はこのテキストVRAMにウィンドウシステムの描画を行っています。そうやって768x512x16色で画面構築した上で、その一部でグラフィックVRAMを透過して見せることで、「画面内の最大512x512の矩形を6万色で見せる」ことができてました。
ってことで、768x512の画面モードで6万色表示はしてるけど、768x512で6万色出せるとは言えないかと。
うん、だからあえて「768x512モードのアスペクト比で」と書いてる。
そんなこと言ったらセガサターンだって704*480の16bitカラーで表示できるぞ。
隠し機能で1024x848(インタレース)のモードがあったけど,この解像度でも64k色の512x512のタイル表示できたのかな?
メモリマップを見るに、増やしたVRAMはバンク切り替えになって、それはそれで非難の対象になったような。自分は、32bit高速バスによる従来と互換性のない大容量メモリスロットと外部拡張スロットにしていればと思う。そうすれば、バス性能がボトルネックにならない、高速なCPUやグラボの拡張ボードが出ていたかも。
1987年に、当時の家庭用ゲーム機でも入れてないようなゲーム周りのハード(メガドライブが翌年、同じ年にPC円神)を搭載して、個人でも頑張れば手の届く値段で出したこと。
今度出るのがエミュレータの上にゲーム乗せただけの奴なのか、前にPC8001とかMZでやったみたいにプログラミングもできます、みたいなものかはまだ発表されてない。
グラディウスと祝一平(合掌)
想像してみましょう:「グラディウスで起こされる朝」
PS.電脳倶楽部って知ってる?
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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー
X68000ってよく話題に上がるけど、 (スコア:0)
X68000のは何が凄かったの?これはファミコンミニみたいなノリなの?
Re:X68000ってよく話題に上がるけど、 (スコア:2)
1987年当時の日本のパソコンは8ビットが主流で16ビットは個人所有でも仕事用の高級機扱いだったのですが、その中で堂々とホビーワークステーションを名乗り実装も68000にOPMにADPCMに6万色表示と話題性は抜群でした。 16ビットだと仕事用なのでインテルの86系CPUでビープ音のみ(良くてPSGかOPN・・・いやあったっけ!?)で8~16色表示の時代です。
そんな時代に、標準添付でグラディウスとか。 1985年のゲームですが、商品寿命がまだまだあるモノを標準添付アプリとか前代未聞だったんです。 データの吸い上げとかまだ無かった時代なので、データもプログラムも目コピだそうです。 開発者曰く『1ドットでも間違えたら腹を切る! ・・・1ドットぐらい、間違えたかな?』
ハード的にはI/Oポートを採用せず全てのハードウエアは16MBのメモリアドレス上にマッピングされていたので、68000の機能でメモリ保護されている場合を除きメモリ代入だけで機能実行出来ました。
ついでにテキスト画面もグラフィックとは別のプレーンで存在したのですが、ハードウエアレベルでは4プレーン重ねで16色表現出来るグラフィック画面で、色々と応用されました。 特に98からの移植に、安易な威力発揮していました。
ちなみにOSはHuman68kと言うのですが、性能発揮するにはMS-DOSライクなコマンドラインをUIにする必要があったのですが、ランチャとしてコマンドラインとは別のビジュアルシェルと言うGUIが用意されていました。 実行ファイル名はvs.x。 今見てもカッコイイです。
今の基準で語ると、ソフトで出来る事をわざわざハードで実装していたマシンです。
でもその今に繋がる発想のヒントを多くの人に与えた、夢を見させてくれたハードウエアです。 半ば信仰とも言えますね。
アセンブラの高速性を教えてくれて、GCCで自前で書く事の無意味さも教えてくれた、教師であり反面教師でもあった環境です。
僕のパソコンには翼がある・・・はMZ-2500でしたか。 でも私には68がそうでしたね。
24ドットフォントと半角平仮名フォントを組み合わせて送り仮名システムを書いたりして遊んでいました。
# この通り過去に信仰していた身なので、事実以上の事は聞き流して下さい。
Re: (スコア:0)
「パーソナルワークステーション」では?
Re:X68000ってよく話題に上がるけど、 (スコア:2)
おっしゃる通りです。
文脈での言葉選びを間違えました。
Re: (スコア:0)
早期にGNUツールチェーンが移植されたことで、廉価に優れた開発環境が整ったことも魅力でした。
pcm8とかpanicとかko-windowとか、ハードの限界をソフトで越えることができた。
susie.xとかFAT32とか、バッテリバックアップされたSRAMディスクにデバイスドライバを置くことで、大容量HDDやMOやCD-ROM等Humanが未知のデバイスやファイルシステムに対応できた。
Xcellent30とか040turboとかSxSIとか、本体の機能や性能を拡張できた。
ed.x上位互換エディタやMicroEmacsで満足しちゃったのか、フルセットのGNU Emacsがないのが不思議でした。
TeXですら移植されたのに、誰かが移植するかもと互いに遠慮しちゃったんでしょうか。
Re: (スコア:0)
ED.x自体がMIFESライクなエディタで(当時としては)とっつきやすかったし、
上位互換のED.rやSuperED.xも使いやすかった。個人的にはこの辺で満足してた。
SX-WINDOWに日常の環境を移してからはシャーペン.xで十分だったし。
MY.xっていうまんまMIFESっぽいのもあったけど、マクロ機能があったかは覚えてない。
結局今に至るまでEmacsには手を出さずじまいだった。終了のさせ方ぐらいしか知らない。
削除や移動系のキーバインドはEmacs風なんだけどね。以前はMac使ってて慣れちゃったし。
Re: (スコア:0)
ed.x上位互換エディタやMicroEmacsで満足しちゃったのか、フルセットのGNU Emacsがないのが不思議でした。
知らなかっただけじゃね
http://tanehp.ec-net.jp/heppoko-lab/prog/zakki/emacs/emacs.html#Nemacs... [ec-net.jp]
Re: (スコア:0)
あったんですね。知らなかった。当時どこで配布されていたんだろう。
画面キャプチャを見て思い出しましたが、X68のテキスト画面は実質グラフィック画面のため、フォントを自由に変更できタケルでも対応フォントを売っていました。
Re: (スコア:0)
エトプリフォント使ってたっけな。
「エトワールプリンセス」というゲームで使われていた、ギャル文字?丸文字?なフォント。
確か仮名や記号のみだったので、漢字は別のフォントで補完。
当時のCONFIG.SYS見ると↓って書いてあるけど、漢字部分のフォント名分からん。
device = a:\sys2\hiocs.x a:\sys2\font\marugol.fon a:\sys2\font\etpri.fon
Re: (スコア:0)
フォント製作者のご厚意で、タケルで売られていたフォント製品が、非商用無料で以下からダウンロードできるようです。
http://silo.la.coocan.jp/FONT/ [coocan.jp]
ファイル名が違いますが、この秋葉原16という丸ゴシックフォントではないでしょうか。
Re: (スコア:0)
>データもプログラムも目コピだそうです。
いえ実際は普通にROMの吸出しですよ。
ファイルの中身にいっぱい残骸がありました。
Re:X68000ってよく話題に上がるけど、 (スコア:1)
「X68000の」は何を指しているのかしら・・
Re: (スコア:0)
X68000のは何が凄かったの?これはファミコンミニみたいなノリなの?
1987年発売でこんな感じのが動いた
https://emu-portal.com/x68000.html [emu-portal.com]
# x86互換ならエミュである程度再現可能なので筐体なんて飾りですみたいな
Re: (スコア:0)
>X68000のは何が凄かったの?
「の」はタイプミスとして真面目に答えるけど、搭載されていた MC68000を
当時個人向けPCに多く採用されていたIntel-8086と比べると分かりやすい。
【Intel 8086】1978年~
命令セット= 16ビット、トランジスタ数=約 29000、最大メモリ 1 MB
8ビットの 8080 との互換性重視で完全な 16 ビットとは言い難く、随所に8ビットのしがらみがみられる。
【MC68000】1980年~
命令セット= 32ビット、トランジスタ数=約 70000、最大メモリ 16 MB
従来品との互換性は考慮せず、完全な16ビット設計を目指したらしい。
MC68000はミニコンクラスでも使われていたという実績からも性能の高さが伺える。
Re: (スコア:0)
まあ投資が集まるx86の改善についていけずあっという間に廃れたけどね。
後年のRISCでもまったく同じパターンで失敗を繰り返してるし。
別にモトローラが取り立てて無能なわけではなく、Intel自身もIA64で同じ失敗をしてるけど
Re: (スコア:0)
>まあ投資が集まるx86の改善についていけず
80286:1982年~
命令セット=16ビット、トランジスタ数 134000、最大メモリ 16MB
80386:1985年~
命令セット=IA-32、トランジスタ数 275000、最大メモリ 4GB
V V V! ビクトリー! 日本電気のV20 換装できるのだ (スコア:0)
単にIBM PCに採用されなかったのが運の尽きってやつ
Re: (スコア:0)
68Kじゃないけど6809搭載してたマッキントッシュの値段が高すぎて買えたもんじゃなかったたともゆー
Re: Re:V V V! ビクトリー! 日本電気のV20 換装できるのだ (スコア:3)
09乗せてたのはApple I/II/III ですよ (IIGSは65816)
Re: (スコア:0)
あと、ジェフ・ラスキンが作ったMacintoshの試作機。
Re: (スコア:0)
なに?ここ
ボケにボケをぶら下げるツリーなのかw
MOSTEKが浮かばれないぞ
Re: (スコア:0)
そうみたい。
MOS Technology はもっと浮かばれない。
Re: (スコア:0)
>なに?ここ
↑ 君こそなによ?
>ボケにボケをぶら下げるツリーなのかw
↑ 何、スラドのポリシーに文句つけてんのよっ!
>MOSTEKが浮かばれないぞ
↑ なんだ、ちゃんと分かってるじゃないの
Re: Re: Re:V V V! ビクトリー! 日本電気のV20 換装できるのだ (スコア:2)
ややこしいことにMostek と MOS Technology は別の会社です…
// 6502はMOS Technology、65816はWDC
Re: (スコア:0)
Appleが採用したのはSynertek版だが?
Re: (スコア:0)
>まあ投資が集まるx86の改善についていけず
80286:1982年~
命令セット=16ビット、トランジスタ数 134000、最大メモリ 16MB
80386:1985年~
命令セット=IA-32、トランジスタ数 275000、最大メモリ 4GB
インテルの80486とほぼ同時期にモトローラが68040出してた頃まではいい勝負してたと思うよ。
Re: (スコア:0)
そうだね
MC88000は黒歴史だね(アレ?
#実は使ったことあるw
Re: (スコア:0)
もともと、通信機器メーカーで半導体専業メーカーではなかったため、自分たちが必要なMPUが世の中にないから、仕方なく作ったMPUを開発費回収ついでに外販した、程度の意志だったので、自分たちの必要としない高性能高機能のMPUの開発からは、開発費のかさむようになって手を引いた、ってだけですね。
細々と68060とか88000とかPowerPCとか作った人たちは、今見たくファウンダリ専業メーカーによりファブレスが成り立つなら、とっくにモトローラを飛び出していたでしょうね。6800を作った後に6502を作った人たちはあまり恵まれなかったようですが。
Re: (スコア:0)
まず68000自体について付け加えれば、リニアなメモリ空間とか綺麗な命令やレジスタセットとか、まだアセンブラで色々やってた時代には感覚的に気持ち良かったというのがある。
あと、レジスタが32ビットあったんで、32ビットCPUの気分を味わえたし。
そういう点を踏まえて、「X68000」という名前にした辺りわかってるなーと思った。
で、それを音や画像等のホビー向け機能で飾ってくれたわけだよね。
Re: (スコア:0)
先に6809や68000を知ったせいで、仕事上86系を扱うときのみじめさと戦う苦労があった。
Re: (スコア:0)
6809に比べたら86のほうがまだマシだろ
Re: (スコア:0)
X68000よりずっと後に出て、CPU に 80386を搭載して広告打ちまくっていた FM TOWNS [wikipedia.org] が全くと言っていいほど評価されなかった。
もし FM TOWNSがMC68000を採用していたら、私も買っていたかもしれない。
CPUもそうだけど、X68000 はグラフィックチップが凄かったのよ。
ゲーム作りにはほぼ最高のスペックと言って良かった。
X68030 の時にグラフィックメモリを増やして、768×512 で6万色出せたらもっと魅力的なマシンになっていたのに。
Re: (スコア:0)
>768×512 で6万色出せたら
え? 出せてましたよ?(768x512モードのアスペクト比で)
SX-WINDOW3.0の売りの一つがそれじゃなかったかな。
#CTRCさんが頑張った。
Re:X68000ってよく話題に上がるけど、 (スコア:1)
いや、出来るけど出来ませんよ。X68000はテキストVRAMとグラフィックVRAMがそれぞれ512KBいかない。いや、当時的には画期的な大容量だけど。
で、グラフィックVRAMは、4bit(16色)、8bit(256色)、16bit(65536色)の3種類の色モードがありますが、
16bitモードの場合は、512KBは512x512ピクセル分の広さしかありません。
768x512の解像度モードでも6万色表示は可能ですが、その場合は全画面には表示できず、そのモードにすると512x512をタイル表示(繰り返し)になります。
一方のテキストVRAMはテキストVRAMといいつつ、PC-98のグラフィックVRAMと同様の4プレーンビットマップ方式で、1024x1024で、4bit=16色発色。
SX-Window はこのテキストVRAMにウィンドウシステムの描画を行っています。
そうやって768x512x16色で画面構築した上で、その一部でグラフィックVRAMを透過して見せることで、「画面内の最大512x512の矩形を6万色で見せる」ことができてました。
ってことで、768x512の画面モードで6万色表示はしてるけど、768x512で6万色出せるとは言えないかと。
Re: (スコア:0)
うん、だからあえて「768x512モードのアスペクト比で」と書いてる。
Re: (スコア:0)
そんなこと言ったらセガサターンだって704*480の16bitカラーで表示できるぞ。
Re: (スコア:0)
隠し機能で1024x848(インタレース)のモードがあったけど,
この解像度でも64k色の512x512のタイル表示できたのかな?
Re: (スコア:0)
メモリマップを見るに、増やしたVRAMはバンク切り替えになって、それはそれで非難の対象になったような。
自分は、32bit高速バスによる従来と互換性のない大容量メモリスロットと外部拡張スロットにしていればと思う。
そうすれば、バス性能がボトルネックにならない、高速なCPUやグラボの拡張ボードが出ていたかも。
Re: (スコア:0)
1987年に、当時の家庭用ゲーム機でも入れてないようなゲーム周りのハード(メガドライブが翌年、同じ年にPC円神)を搭載して、個人でも頑張れば手の届く値段で出したこと。
今度出るのがエミュレータの上にゲーム乗せただけの奴なのか、前にPC8001とかMZでやったみたいにプログラミングもできます、みたいなものかはまだ発表されてない。
Re: (スコア:0)
グラディウスと祝一平(合掌)
想像してみましょう:「グラディウスで起こされる朝」
PS.
電脳倶楽部って知ってる?