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人間がロボットを蹴ることは許されるのか?」記事へのコメント

  • 例示されている事例だとつまらないので、

    ・人間にそっくりなロボットを作る
    ・実在の誰かに似せているということはない
    ・そのロボットは、人間そっくりに振舞うようプログラムされている。血も出る。

    ・そのロボットを暴行し、「殺す」
    ・その様を見世物としてビデオ公開する

    そうした場合、どうなるだろう?
    ロボットが可哀想という論調になるだろか?
    ビデオ越しだと人間と区別がつかない場合、人間をロボットだと言い張った「映像作品」が生まれて社会問題になるだろうか?
    ビデオ越しでなくても、人間をロボットだと偽って、人間ではできないことをさせたりするだろうか?
    例えば、「未成年にそっくりなロボット」を……?

    • by Anonymous Coward on 2019年09月03日 18時27分 (#3679617)

      ロボット三原則が矛盾とされて発表されたのに、その後のフィクションでもロボット三原則を適用するヒトが比較的高度な知能をもつような記述が多いのは、どんなに人間に近くてもロボットは所詮モノという考えが支配的だからだろう。
      元コメの状況の時に発生するのは自由意志を持つ人間に対する感情ではなく、奴隷に対する感情と同様だろうと思われる。

      親コメント
      • # 本題からはやや外れてしまいますが。

        ロボット三原則が矛盾とされて発表されたのに、その後のフィクションでもロボット三原則を適用するヒトが比較的高度な知能をもつような記述が多いのは、どんなに人間に近くてもロボットは所詮モノという考えが支配的だからだろう。

        うーん、それは違うような……。
        アシモフ氏がロボット三原則を編み出したのは、「ロボットが人間に反乱を起こす」というお定まりのシチュエーションに飽き飽きしていたからです。
        「工業製品ならば、どうして最初から反乱を起こさないよう作っておかないのか」と。
        ですから、アシモフ作品のロボットは工業製品、まさに「モノ」なのです。
        特に第一作『ロビー』は、三原則(※初出時は明文化されていません)に従っただけのロボットに、人間が自覚的ながらも感情移入してしまうというお話です。

        逆に、アシモフ作品以外のSFに登場するロボットは、三原則を持ち出していようがいまいが、多くの場合で作中の扱いは「人」です。
        (実は、〈ロボットもの〉のルーツと言えるチャペック氏の『R.U.R.』も、前半は「工業製品としてのロボット」ではありますけど)

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