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今ですらストレージとメインメモリがごっちゃになっている人もいるのにスペック上ではメインメモリが128GBだけど実際はDRAMはそのうち8GBしかないとかさらなる混乱を招きそう
もしホントにメインRAMが不揮発にできたら、外部記憶装置って概念が消えると思う。メインメモリと仮想記憶だけで、ファイルの概念の無い新しいOSが生まれるべき。混乱というより、すっきりして、「昔は外部記憶とかややこしい使い方してたんだなあ」って思われるようになるぞ。
データって、一つのプログラムが抱え込んでいるもんじゃないぞ。
ファイルシステムがないとき、例えば写真データが5000枚分メモリ上にあり、それを編集ソフトなんかで編集しようとしたとき、ファイルシステムなしでどうやって目的の1枚を選ぶんだ?一つのデータを複数のプログラムから利用しようとしたときにファイルの概念がなかったらどうやって目的のデータを指定するんだ?ファイルの概念がなかったらネットワークの先にあるファイル群はユーザーにどのように見せるんだ?
データが全てメモリ上に存在するとしても結局はデータの塊に名前を付けてファイルとして管理する以外にないんじゃないか?
元来object oriented思想はデータと処理を一つの塊として扱いたい、というものだった。だが処理部分はポインタの塊での実装がしやすいので、クラスやインスタンスはランダムアクセス性の低いHDD上に展開してそのまま使うというのは実用性が低かった。一時期頑張ってこの辺りを「フラット化」して永続オブジェクトをHDD上に実装しようとするobject DBがはやったけど、結局メモリ上に展開されるオブジェクトの退避場所としてHDDを使う、以上の実装はできなかったと思う。
もし大容量でランダムアクセス性が高い記憶装置があるなら、全てを完全なオブジェクトとして処理できるOS体系は現実味を帯びるかもしれない。ディレクトリやファイルの名前、とプログラムやライブラリの名前、という空間が完全に統一され、クラスとインスタンスで全てが表現される世界。さらに単体コンピューターを超えてURLのようなロケータとDNSのような分散系を作ってネットワーク越しにもより洗練されたオブジェクトの統一管理ができるかもしれない。昔のCORBAがOSと一体になったような形かな。
もちろん、同じ写真を例えば見る時は手軽にirfanViewで、レタッチはphotoshopで、という開発主体が異なるアプリの利用が主流なら、写真クラスのメソッドは単純にインスタンスのデータを返すだけ、となってしまうので、これがファイルシステムと何が違うの、といえばその通り。でも需要さえあれば、メソッドの形でOSに現在のアプリの処理のかなりの部分をOSと不可分な形で取り込めるし、拡張性も高いだろう。
独禁法の絡みでウェブブラウザをOSと分離しろ、OSの境界は?と悩まされたMSなんかは、OS領域を拡大してアプリ領域に侵食していくのにこの手法が有効なのではないかと邪推してみたり。
なんにせよ、今までとは考え方の違う処理系が構想できる可能性はあると思うよ。
あらゆるものをファイルとして扱うUNIXの思想は無理があるしあらゆるファイルをオブジェクトとして扱えるようにするのも無理があるだろう。WinFSがポシャったのにはそのへんもあったんじゃないかな。単にマイクロソフトが単独で大量のファイル形式に対応するのが難しいからという話かもしれないが。データ記録側にデータの操作機能も持たせるのは非現実的なんじゃない?
オブジェクトは論理空間を提供するのに対し、ファイルはビューを提供する、と某大学の院試で解答すると入学後に一目置かれます
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コンピュータのメモリ事情がさらにややこしくなる (スコア:0)
今ですらストレージとメインメモリがごっちゃになっている人もいるのに
スペック上ではメインメモリが128GBだけど実際はDRAMはそのうち8GBしかないとか
さらなる混乱を招きそう
Re: (スコア:0)
もしホントにメインRAMが不揮発にできたら、外部記憶装置って概念が消えると思う。
メインメモリと仮想記憶だけで、ファイルの概念の無い新しいOSが生まれるべき。
混乱というより、すっきりして、「昔は外部記憶とかややこしい使い方してたんだなあ」
って思われるようになるぞ。
Re: (スコア:0)
データって、一つのプログラムが抱え込んでいるもんじゃないぞ。
ファイルシステムがないとき、例えば写真データが5000枚分メモリ上にあり、それを編集ソフトなんかで編集しようとしたとき、
ファイルシステムなしでどうやって目的の1枚を選ぶんだ?
一つのデータを複数のプログラムから利用しようとしたときにファイルの概念がなかったらどうやって目的のデータを指定するんだ?
ファイルの概念がなかったらネットワークの先にあるファイル群はユーザーにどのように見せるんだ?
データが全てメモリ上に存在するとしても結局はデータの塊に名前を付けてファイルとして管理する以外にないんじゃないか?
Re:コンピュータのメモリ事情がさらにややこしくなる (スコア:0)
元来object oriented思想はデータと処理を一つの塊として扱いたい、というものだった。だが処理部分はポ
インタの塊での実装がしやすいので、クラスやインスタンスはランダムアクセス性の低いHDD上に展開してその
まま使うというのは実用性が低かった。一時期頑張ってこの辺りを「フラット化」して永続オブジェクトをHDD
上に実装しようとするobject DBがはやったけど、結局メモリ上に展開されるオブジェクトの退避場所としてHDD
を使う、以上の実装はできなかったと思う。
もし大容量でランダムアクセス性が高い記憶装置があるなら、全てを完全なオブジェクトとして処理できるOS
体系は現実味を帯びるかもしれない。ディレクトリやファイルの名前、とプログラムやライブラリの名前、とい
う空間が完全に統一され、クラスとインスタンスで全てが表現される世界。さらに単体コンピューターを超えて
URLのようなロケータとDNSのような分散系を作ってネットワーク越しにもより洗練されたオブジェクトの統一管
理ができるかもしれない。昔のCORBAがOSと一体になったような形かな。
もちろん、同じ写真を例えば見る時は手軽にirfanViewで、レタッチはphotoshopで、という開発主体が異なる
アプリの利用が主流なら、写真クラスのメソッドは単純にインスタンスのデータを返すだけ、となってしまうの
で、これがファイルシステムと何が違うの、といえばその通り。でも需要さえあれば、メソッドの形でOSに現在
のアプリの処理のかなりの部分をOSと不可分な形で取り込めるし、拡張性も高いだろう。
独禁法の絡みでウェブブラウザをOSと分離しろ、OSの境界は?と悩まされたMSなんかは、OS領域を拡大してア
プリ領域に侵食していくのにこの手法が有効なのではないかと邪推してみたり。
なんにせよ、今までとは考え方の違う処理系が構想できる可能性はあると思うよ。
Re: (スコア:0)
あらゆるものをファイルとして扱うUNIXの思想は無理があるしあらゆるファイルをオブジェクトとして扱えるようにするのも無理があるだろう。WinFSがポシャったのにはそのへんもあったんじゃないかな。
単にマイクロソフトが単独で大量のファイル形式に対応するのが難しいからという話かもしれないが。データ記録側にデータの操作機能も持たせるのは非現実的なんじゃない?
Re: (スコア:0)
オブジェクトは論理空間を提供するのに対し、ファイルはビューを提供する、と某大学の院試で解答すると入学後に一目置かれます