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ニホンジンガー!ニッポンジンガー!なんかそればっかり強調するよね
英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのにジャップランドの記事だとさも一人で作りました!みたいになっちゃうのw
ナチュラル捏造国家ジャップランド
なぜか、日本以外ではもう一人のほうが「アレは俺がやった」と言っているようだが、嶋が8080/Z80も設計したことを考えると、嶋のほうが大きかったと考えるのが普通
ジャップランド君そろそろID取ってよ、みんなが平和に過ごせるから
#各種メディアの日本すごい日本最高バイアスは私も嫌いなのでID
ちゃんとsadakenってID持ってるよすっごいチキン
NGぶっこむからID明かせってそら無理筋過ぎるだろwww
>英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのにそりゃマイクロソフトだって宣伝するなら「パソコンOSはマイクロソフトが作った」「パソコンはマイクロソフトが広めた」って宣伝すると思う。都合の悪い部分はあまり大きな声では言わない。#CP/M? Apple IIなにそれ美味しいの?
そして少なくともインテルの偉いさん(CEO?)が彼をビジコン社まで「引き抜きにきた」って読んだけどな。手伝いかどうかはともかく、彼の力が必用とされたのは確かなんじゃね。
ところで、「我が青春の4004」 [amazon.co.jp]って読んだ人います?気にはなっているが、なにせ絶版だわ、電子化もされそうにないわでねえ。
せめて感想だけでも聞ければと。
手元に第1刷がありますが、4004に限って言えば開発の経緯や技術的な説明はITProのほうがやや詳しいです。
本はビジコン入社から4004の開発、8080やZ80の開発を経て簡単ですがZ8000まで触れていますので後半は駆け足っぽい。でも、産業の黎明期ならではの熱気が感じられて読んでて面白いですよ。図書館などで探せばあると思うので一読をお勧め。ところどころ具体的な(当時の、今はとうにすたれた)作業(「ルビーを切る」とか)や、当時のシリコンバレー生活のエピソードなどが今見るとたいへん興味深いですし。
かなりのプレミアを払って手元にありますが、僕に興味があるの? いいよ、何でも聞いてよ
都合の悪い部分はあまり大きな声では言わない。
マイクロソフト日本法人は一時期技術者向けの宣伝のときに中島聡前面に押し出していたような気もしますが。なんだかんだでウィンドウズ95はウィンドウズにおける重要なマイルストーンですし。meにかかわらずに済んだのはあの人にとっては幸運だったな。誰がやってもmeはああなったとは思うが。ああでも中島さんはマイクロソフト社員だから特に都合の悪い話でもないか。マイクロソフトの都合の悪い話といえば開発を始めてもいないソフトの完成品を持っているなどと称して契約を獲得。大急ぎでその手のソフトを持ってる会社を買収してどうのこうのとかそっちか。
昔、図書館のやつを読みました。
i4004と嶋氏については複数の媒体で読んだので、記憶がごっちゃになってる可能性もありますが、、、
「インテルに計算機用のICを作ってもらうことになった」「インテルには製造プロセスの専門家は多いけど、ロジックの専門家があまりいないので、自分が行くことになった」「小さなコンピュータにするというアイデアは、向こうが持ってきた」「自分はコンピュータなんて聞いたことがある程度だった」「インテルの人間は記念に自分の名前入りのチップを作っていた。自分は家紋を入れてもらった」とか憶えています。
アーキテクトとして働いたというより、ロジックの設計した、って感じなのでは。コンピュータ使ったことないって書いてましたし。
> コンピュータ使ったことないって書いてましたし。
いえ、入社当時は(今でいう)情報システム部門で三菱製コンピュータを使ってコボラーやってたそうです。といっても大学は化学専攻だしそれが嫌で電卓部門に異動させてもらったとのこと。
> アーキテクトとして働いたというより、ロジックの設計した、って感じなのでは。
これはその通りのようですね。アーキテクチャのアイディアを出したのはテッド・ホフ。ただ、回路設計(ロジック設計をトランジスタ回路におとしてマスク設計に回すまで、かな)もインテルの人手不足もあってフェデリコ・ファジンの補佐の形で参加したようです。
WILLIAM ASPRAY , The Intel 4004 Microprocessor: What Constituted Invention? http://buzzpdf.com/in/intel-4004-doc-pdf.html [buzzpdf.com] を読んでくださいよIEEEが25周年のときにあちこちにインタビューしてまとめた記事ですよ「英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのに」「小さなコンピュータにするというアイデアは、向こうが持ってきた」とか勘違いも甚だしいです
ビジコンが開発資金をだして嶋さん設計のCPUの開発をインテルに依頼嶋さん
時雨、行くよ
> ビジコンが開発資金をだして嶋さん設計のCPUの開発をインテルに依頼> 嶋さん設計CPUは1チップのものでなくインテルのTed Hoffが4bit1chipにしたほうが作りやすいと提案
ビジコンが持って行ったのはマクロ命令(正体不明)、ホフの「『4ビットのCPU』という新しいアイデアの提案に、我々はあっけにとられた」と書いてあるホフ
> Ted Hoffの案採用。Ted Hoffは概念提案だけ。
「このようにして、ホフの最初の提案と、我々が当初考えていた電卓用LSIとの折衷案ができ上がった」と書いてあるホフ
興味深い話っぽいが「」部分の主体がわからん…ホフ?ビジコンの人?「ビジコンの人がこういった」とホフが書いてる…?
嶋正利「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004」からの引用です上から順に、41ページ(第三章「マイクロコンピュータのアイデアの出現」)、48ページ(同章)ですそのた興味深い記述に、「この時期に、ホフからALU(主演算回路、Arithmetic and Logic Unit)とレジスタ・ファイルの基本的回路(いずれも制御部を除く)が手渡された」というのがあります(46ページ)。重要な資料なのでわたしがどう抜粋しても誤解のもとになりそうですが、ホフ氏はたんなるアイデアマンではなさそうでホフ
マクロ命令については図が載っているのですが、字がつぶれていて全く読めませんでした13ページのプリンタ付き電卓のブロック図のキャプションに「図面にはっきりと『マイクロ・オーダー』という名前が書かれている」とあったので、一般的な用語でいうところのマイクロ命令のようです
当方も図書館で目を通しています。リンク先の広告(メインフレームがゲジゲジになってる)が転載されてたことを覚えています。
http://4004.com/4004-announcement.jpg [4004.com]
今じゃ半ば当たり前ではありますが。
こいつの開発に関しての話をすると日本人はすごいとはならないんだな。当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。そのインテルと共同開発したのが日本企業のビジコンだがビジコンは目先の金と引き換えに金のなる木を二束三文でインテルに売っぱらっちゃった。その後日本企業はプロセッサ市場への参入にはひとまず成功したもののインテルほどの成功はなかったしメモリ市場もボロボロ。ビジコンに至っては倒産。翻ってインテルは誰もが羨む優良企業。
通産省からは「中小企業の1つや2つ倒産しても、我々は何とも思いません」と言われたってあるよ。さすが世界に誇る我が国の官僚の言うことは違いますな。
当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
何馬鹿なこと言ってんの?
歴史の時系列くらいおさらいしてから出ておいで。再提出だ、これ。
何処にメモリ市場なんてあったんだよこれほど自信たっぷりに馬鹿言う馬鹿は初めて見たかも
> 当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。> そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
そりゃ事実誤認ってやつだ。
1971年当時、メモリの最先端メーカの1つがインテルだった。1kビットのDRAMとかね。当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
日本メーカがメモリで競争力を持つ様になったのは、1976年~1980年の超LSI技術研究組合の後だわね。それから7年もしないうちに、日本メーカは集中豪雨的にメモリをアメリカに売り込む様になった。
当時は電卓需要もあってIC作ってたはずですよNECは1971年末に向河原工場で製造したμPD707・708をシャープに納入した、と手元の本に書いてあります
> 当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
'60年代後半には国産Siトランジスタがアキバで普通に買えて、初歩のラジオとか子供の科学の製作記事になってましたよ。2SC183、2SC372、2SC460、2SC517、2SC799、2SC828等々懐かしい名前がいろいろ。
たしか日本のメーカーが優位にたったのは64Kbit DRAMからだったとおもう。富士通のパソコンFM-8が64KbitのDRAMを搭載してビックリした記憶がある。
hylomじゃないんだし、「方法の体」はない。「這う這うの体」または「這這うの態」だろう。
「ほうほうのからだ」でしょ。意味は分からないけどよく使われる表現ですよ。
https://www.google.co.jp/search?q=%22%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%BD... [google.co.jp]
マイクロプロセッサ誕生のサクセスストーリーを見るに、その後もうまくやった日本人は嶋氏ひとりの印象。要するに例外じゃないかな。
ソースはこの [ethw.org]あたりか?確かに嶋に関してはそう評価は高くなかったが、佐々木 [wikipedia.org] は持ち上げていたような気がするな、数年前に読んだので少々おぼつかないが。いずれにしろ、どこかの国は微塵も出てこない時代の話なんだけど。
そりゃどこかの国ことソ連は鉄のカーテンの向こうですからね。
ネットで調べると佐々木氏のことがわんさかでてきますねネットにない情報では彼の自伝によると、最初にNECに接触したが工場のキャパシティを超えるということで断られたビジコンをインテルに紹介したとも
Intelの社員でも無いのだから、Intelから見たらお手伝いにしかならないのは当たり前
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
何かというと「日本人」 (スコア:-1)
ニホンジンガー!ニッポンジンガー!
なんかそればっかり強調するよね
英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのに
ジャップランドの記事だとさも一人で作りました!
みたいになっちゃうのw
ナチュラル捏造国家ジャップランド
Re:何かというと「日本人」 (スコア:3, すばらしい洞察)
なぜか、日本以外ではもう一人のほうが「アレは俺がやった」と言っているようだが、
嶋が8080/Z80も設計したことを考えると、嶋のほうが大きかったと考えるのが普通
Re:何かというと「日本人」 (スコア:2)
ジャップランド君そろそろID取ってよ、みんなが平和に過ごせるから
#各種メディアの日本すごい日本最高バイアスは私も嫌いなのでID
Re:何かというと「日本人」 (スコア:1)
ちゃんとsadakenってID持ってるよ
すっごいチキン
Re: (スコア:0)
NGぶっこむからID明かせってそら無理筋過ぎるだろwww
Re:何かというと「日本人」 (スコア:1)
>英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのに
そりゃマイクロソフトだって宣伝するなら「パソコンOSはマイクロソフトが作った」「パソコンはマイクロソフトが広めた」って宣伝すると思う。
都合の悪い部分はあまり大きな声では言わない。
#CP/M? Apple IIなにそれ美味しいの?
そして少なくともインテルの偉いさん(CEO?)が彼をビジコン社まで「引き抜きにきた」って読んだけどな。
手伝いかどうかはともかく、彼の力が必用とされたのは確かなんじゃね。
ところで、「我が青春の4004」 [amazon.co.jp]って読んだ人います?
気にはなっているが、なにせ絶版だわ、電子化もされそうにないわでねえ。
せめて感想だけでも聞ければと。
Re:何かというと「日本人」 (スコア:2, 参考になる)
手元に第1刷がありますが、4004に限って言えば開発の経緯や技術的な説明はITProのほうがやや詳しいです。
本はビジコン入社から4004の開発、8080やZ80の開発を経て簡単ですがZ8000まで触れていますので後半は駆け足っぽい。
でも、産業の黎明期ならではの熱気が感じられて読んでて面白いですよ。図書館などで探せばあると思うので一読をお勧め。
ところどころ具体的な(当時の、今はとうにすたれた)作業(「ルビーを切る」とか)や、当時のシリコンバレー生活のエピソードなどが今見るとたいへん興味深いですし。
Re: (スコア:0)
かなりのプレミアを払って手元にありますが、僕に興味があるの? いいよ、何でも聞いてよ
Re: (スコア:0)
都合の悪い部分はあまり大きな声では言わない。
マイクロソフト日本法人は一時期技術者向けの宣伝のときに中島聡前面に押し出していたような気もしますが。
なんだかんだでウィンドウズ95はウィンドウズにおける重要なマイルストーンですし。
meにかかわらずに済んだのはあの人にとっては幸運だったな。誰がやってもmeはああなったとは思うが。
ああでも中島さんはマイクロソフト社員だから特に都合の悪い話でもないか。
マイクロソフトの都合の悪い話といえば開発を始めてもいないソフトの完成品を持っているなどと称して契約を獲得。大急ぎでその手のソフトを持ってる会社を買収してどうのこうのとかそっちか。
Re: (スコア:0)
昔、図書館のやつを読みました。
i4004と嶋氏については複数の媒体で読んだので、記憶がごっちゃになってる可能性もありますが、、、
「インテルに計算機用のICを作ってもらうことになった」
「インテルには製造プロセスの専門家は多いけど、ロジックの専門家があまりいないので、自分が行くことになった」
「小さなコンピュータにするというアイデアは、向こうが持ってきた」
「自分はコンピュータなんて聞いたことがある程度だった」
「インテルの人間は記念に自分の名前入りのチップを作っていた。自分は家紋を入れてもらった」
とか憶えています。
アーキテクトとして働いたというより、ロジックの設計した、って感じなのでは。
コンピュータ使ったことないって書いてましたし。
Re: (スコア:0)
> コンピュータ使ったことないって書いてましたし。
いえ、入社当時は(今でいう)情報システム部門で三菱製コンピュータを使ってコボラーやってたそうです。
といっても大学は化学専攻だしそれが嫌で電卓部門に異動させてもらったとのこと。
> アーキテクトとして働いたというより、ロジックの設計した、って感じなのでは。
これはその通りのようですね。アーキテクチャのアイディアを出したのはテッド・ホフ。ただ、回路設計(ロジック設計をトランジスタ回路におとしてマスク設計に回すまで、かな)もインテルの人手不足もあってフェデリコ・ファジンの補佐の形で参加したようです。
Re: (スコア:0)
WILLIAM ASPRAY , The Intel 4004 Microprocessor: What Constituted Invention?
http://buzzpdf.com/in/intel-4004-doc-pdf.html [buzzpdf.com]
を読んでくださいよ
IEEEが25周年のときにあちこちにインタビューしてまとめた記事ですよ
「英語ソースだと嶋正利はお手伝いしただけなのに」
「小さなコンピュータにするというアイデアは、向こうが持ってきた」
とか勘違いも甚だしいです
ビジコンが開発資金をだして嶋さん設計のCPUの開発をインテルに依頼
嶋さん
Re: (スコア:0)
時雨、行くよ
> ビジコンが開発資金をだして嶋さん設計のCPUの開発をインテルに依頼
> 嶋さん設計CPUは1チップのものでなくインテルのTed Hoffが4bit1chipにしたほうが作りやすいと提案
ビジコンが持って行ったのはマクロ命令(正体不明)、ホフの
「『4ビットのCPU』という新しいアイデアの提案に、我々はあっけにとられた」と書いてあるホフ
> Ted Hoffの案採用。Ted Hoffは概念提案だけ。
「このようにして、ホフの最初の提案と、我々が当初考えていた電卓用LSIとの折衷案ができ上がった」と書いてあるホフ
Re: (スコア:0)
興味深い話っぽいが「」部分の主体がわからん…ホフ?ビジコンの人?「ビジコンの人がこういった」とホフが書いてる…?
Re: (スコア:0)
嶋正利「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004」からの引用です
上から順に、41ページ(第三章「マイクロコンピュータのアイデアの出現」)、48ページ(同章)です
そのた興味深い記述に、
「この時期に、ホフからALU(主演算回路、Arithmetic and Logic Unit)とレジスタ・ファイルの基本的回路(いずれも制御部を除く)が手渡された」
というのがあります(46ページ)。
重要な資料なのでわたしがどう抜粋しても誤解のもとになりそうですが、ホフ氏はたんなるアイデアマンではなさそうでホフ
マクロ命令については図が載っているのですが、字がつぶれていて全く読めませんでした
13ページのプリンタ付き電卓のブロック図のキャプションに「図面にはっきりと『マイクロ・オーダー』という名前が書かれている」とあったので、一般的な用語でいうところのマイクロ命令のようです
Re: (スコア:0)
当方も図書館で目を通しています。
リンク先の広告(メインフレームがゲジゲジになってる)が転載されてたことを覚えています。
http://4004.com/4004-announcement.jpg [4004.com]
今じゃ半ば当たり前ではありますが。
Re: (スコア:0, 参考になる)
こいつの開発に関しての話をすると日本人はすごいとはならないんだな。
当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。
そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
そのインテルと共同開発したのが日本企業のビジコンだがビジコンは目先の金と引き換えに金のなる木を二束三文でインテルに売っぱらっちゃった。
その後日本企業はプロセッサ市場への参入にはひとまず成功したもののインテルほどの成功はなかったしメモリ市場もボロボロ。ビジコンに至っては倒産。翻ってインテルは誰もが羨む優良企業。
Re: (スコア:0)
通産省からは「中小企業の1つや2つ倒産しても、我々は何とも思いません」と言われたってあるよ。
さすが世界に誇る我が国の官僚の言うことは違いますな。
Re:何かというと「日本人」 (スコア:1)
Re: (スコア:0)
当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。
そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
何馬鹿なこと言ってんの?
Re: (スコア:0)
歴史の時系列くらいおさらいしてから出ておいで。再提出だ、これ。
Re: (スコア:0)
何処にメモリ市場なんてあったんだよ
これほど自信たっぷりに馬鹿言う馬鹿は初めて見たかも
Re: (スコア:0)
> 当時日本は高い品質と高い性能をもつメモリを武器にメモリ市場で高いシェアを握っていた。
> そんな日本企業との競争に負けプロセッサ市場に方法の体で逃げ込んだのがインテル。
そりゃ事実誤認ってやつだ。
1971年当時、メモリの最先端メーカの1つがインテルだった。1kビットのDRAMとかね。当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
日本メーカがメモリで競争力を持つ様になったのは、1976年~1980年の超LSI技術研究組合の後だわね。それから7年もしないうちに、日本メーカは集中豪雨的にメモリをアメリカに売り込む様になった。
Re: (スコア:0)
当時は電卓需要もあってIC作ってたはずですよ
NECは1971年末に向河原工場で製造したμPD707・708をシャープに納入した、と手元の本に書いてあります
Re: (スコア:0)
> 当時の日本メーカは、トランジスタとかを作っていたと思うが。ゲルマのトランジスタとか。
'60年代後半には国産Siトランジスタがアキバで普通に買えて、初歩のラジオとか子供の科学の製作記事になってましたよ。
2SC183、2SC372、2SC460、2SC517、2SC799、2SC828等々懐かしい名前がいろいろ。
Re: (スコア:0)
日本メーカがメモリで競争力を持つ様になったのは、1976年~1980年の超LSI技術研究組合の後だわね。それから7年もしないうちに、日本メーカは集中豪雨的にメモリをアメリカに売り込む様になった。
たしか日本のメーカーが優位にたったのは64Kbit DRAMからだったとおもう。富士通のパソコンFM-8が64KbitのDRAMを搭載してビックリした記憶がある。
Re: (スコア:0)
hylomじゃないんだし、「方法の体」はない。
「這う這うの体」または「這這うの態」だろう。
Re: (スコア:0)
「ほうほうのからだ」でしょ。意味は分からないけどよく使われる表現ですよ。
https://www.google.co.jp/search?q=%22%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%BD... [google.co.jp]
Re: (スコア:0)
マイクロプロセッサ誕生のサクセスストーリーを見るに、その後もうまくやった日本人は嶋氏ひとりの印象。
要するに例外じゃないかな。
Re: (スコア:0)
ソースはこの [ethw.org]あたりか?
確かに嶋に関してはそう評価は高くなかったが、佐々木 [wikipedia.org] は持ち上げていたような気がするな、数年前に読んだので少々おぼつかないが。
いずれにしろ、どこかの国は微塵も出てこない時代の話なんだけど。
Re: (スコア:0)
そりゃどこかの国ことソ連は鉄のカーテンの向こうですからね。
Re: (スコア:0)
ネットで調べると佐々木氏のことがわんさかでてきますね
ネットにない情報では彼の自伝によると、最初にNECに接触したが工場のキャパシティを超えるということで断られたビジコンをインテルに紹介したとも
Re: (スコア:0)
Intelの社員でも無いのだから、Intelから見たらお手伝いにしかならないのは当たり前