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集めているゲームに特に明確な方針は無く出物があったら確保している程度で、博物館と言うには中途半端。且つゲームセンターとして運営する訳でもなく、資金はそれほど裕福ではない人間の持ち出しとカンパのみ。そのような中途半端な道楽的な活動であれば、そりゃぁいつかはショートするのが関の山でしょう。
本当にこの活動を続けたいのであれば、営利活動にするなりスポンサーを探すなり、そろそろ安定して運営できる道を探されたほうが良いのではないかと思いますね。せっかく収集した筐体類が置き場所無くて売却廃棄、なんて事になっては一番つまらない結果だと思いますし。
全てにわたり同意です。確かSEGAのバーチャファイターはスミソニアン博物館に補完されている(他にはPonとかスペースインベーダーとか)らしいが、日本の国営博物館では遊具・玩具が手厚く保護されているのを見たことがありません。民営ですと『おもちゃ博物館』とかが有名ですが、他にも江戸時代の玩具を展示する美術館や世界のおもちゃ博物館などいずれも私財を投げ打って運営されているのが現状です。有名ゲームメーカーはその殆どが吸収合併を繰り返し、協力して博物館の運営できる状態でもなさそうだし…国費で補完するほど裕福な国ではないのだと言うのが日本の偉い人達の見解なのでしょうか?アーケードゲームファンとしてはこの様な報をうけ、また自身が裕福でない事が非常に悲しい。。。
本当はここは(一部のアホが「国立漫画喫茶」などと短絡的なレッテル貼りをやった)国立メディア芸術総合センターがカバーする部分だったはずですですが、結果はこのザマですね。ちなみに諸外国では、日本の、日本発のメディア芸術を収集・展示する施設が次々とできており、その中には公立の所もあります。
このまんまでは浮世絵・江戸文化の二の舞ですね。これらは、明治維新後うち捨てられて国内ではほとんど残らなかった一方、諸外国では収集・保管がなされていたわけです。なので国内で浮世絵なんかの展示をしようとすると、外国から高額な代金を支払って購入したり、借り受けたりするような有様です。また、国内でしか保存のしようが無かった、はずの資料やら製法、技術のそのほとんどが失われております。
商品としてと言う意味でも、正直30年のスパンで見れば下手な金融商品に手を出すより割の良い目減りしない資産だと思うんですがね。上手く残せばそれだけで子孫を喰わせる事ができますよ。
民主党をはじめ多くの野党が漫画喫茶呼ばわりしてネガティブキャンペーン張ってましたからね。本人たちは反省していないんだろう。悔い改めればいいのに!
こういうのはネタとしてはいいのかもしれないが真面目なら如何なもんかな。
税金を投じてやる事業であれば批判や反対があってしかるべきで、反対派を説得し得なかった側の責任……というものがもしあるなら責任もあるでしょうよ。自分と意見が合わない人々に対して「悔い改めろ」と妄言を吐くのは無意味であるばかりでなく議論の否定で、あなたが大切と思う国営漫画喫茶を復活させるのにたいして役には立ちません。
もし本当に税を投じてやる必要があるものなら、いちどの敗北で泣き言を連ねるんじゃなく、必要性を主張
野党時代は批判してたくせに、与党になったらクールジャパン戦略とか言って経産省に同じのことをやらせてるから、ご指摘の内容は残念ながら説得力がゼロになっちゃってるんですよね・・・
与党だとか野党だとか民主がどうのと言いたいんじゃないし、一切関係ないですよ。
違和感があるのは元コメが自分の価値観を他人が共有しているのが当然と考えてる、その姿勢です。
たとえば例に出されてる浮世絵がそう。浮世絵は日本では価値を認められてなかったようで、古い浮世絵は障子の破れの継ぎ当てにされてたくらいのシロモノ。木版は削って再利用していた上、再利用ができなくなったら単に捨てていたとか。
明治初期に、日本で浮世絵の保存をすべきだなどといえば鼻で笑われたでしょう、おそらく。古いアーケードゲームについても、その価値について大多数の合意は得られてないという点で
「多数派を説得できず悪い結果になった場合、その原因は説得できなかった少数派にある」こんな理屈を大まじめに単純化できるほど、政治は単純ではありません。
多数派は常にニュートラルですよ。そこに少数の煽動者がいて塗り変わっていく。そのとき扇動する目的が、その事自体に対して真面目に取り組んでいるならともかく、政治的な別の意図があって扇動しているのならば、批判されてしかるべきだろう。
その後のぐだぐだと書いているようだが「ぼくのかんがえたはんたいいけん」でしか無い事を分かっているのか?結局「俺は多数派だ」と言っているだけ「俺は多数はだから安心して文句をいってます」でしか無い事を変わっているか?そして意見を言う事自体を封じる論を立ち上げている事に気付いているか?
その原理主義故に、自らが少数派に置かれたときに後悔しないことを祈りますよ。
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
中途半端な活動 (スコア:1)
集めているゲームに特に明確な方針は無く出物があったら確保している程度で、博物館と言うには中途半端。
且つゲームセンターとして運営する訳でもなく、資金はそれほど裕福ではない人間の持ち出しとカンパのみ。
そのような中途半端な道楽的な活動であれば、そりゃぁいつかはショートするのが関の山でしょう。
本当にこの活動を続けたいのであれば、営利活動にするなりスポンサーを探すなり、
そろそろ安定して運営できる道を探されたほうが良いのではないかと思いますね。
せっかく収集した筐体類が置き場所無くて売却廃棄、なんて事になっては一番つまらない結果だと思いますし。
Re: (スコア:3, 興味深い)
全てにわたり同意です。
確かSEGAのバーチャファイターはスミソニアン博物館に補完されている(他にはPonとかスペースインベーダーとか)らしいが、
日本の国営博物館では遊具・玩具が手厚く保護されているのを見たことがありません。
民営ですと『おもちゃ博物館』とかが有名ですが、他にも江戸時代の玩具を展示する美術館や世界のおもちゃ博物館など
いずれも私財を投げ打って運営されているのが現状です。
有名ゲームメーカーはその殆どが吸収合併を繰り返し、協力して博物館の運営できる状態でもなさそうだし…
国費で補完するほど裕福な国ではないのだと言うのが日本の偉い人達の見解なのでしょうか?
アーケードゲームファンとしてはこの様な報をうけ、また自身が裕福でない事が非常に悲しい。。。
Re: (スコア:5, すばらしい洞察)
本当はここは(一部のアホが「国立漫画喫茶」などと短絡的なレッテル貼りをやった)国立メディア芸術総合センターがカバーする部分だったはずですですが、結果はこのザマですね。
ちなみに諸外国では、日本の、日本発のメディア芸術を収集・展示する施設が次々とできており、その中には公立の所もあります。
このまんまでは浮世絵・江戸文化の二の舞ですね。
これらは、明治維新後うち捨てられて国内ではほとんど残らなかった一方、諸外国では収集・保管がなされていたわけです。なので国内で浮世絵なんかの展示をしようとすると、外国から高額な代金を支払って購入したり、借り受けたりするような有様です。また、国内でしか保存のしようが無かった、はずの資料やら製法、技術のそのほとんどが失われております。
商品としてと言う意味でも、正直30年のスパンで見れば下手な金融商品に手を出すより割の良い目減りしない資産だと思うんですがね。
上手く残せばそれだけで子孫を喰わせる事ができますよ。
Re: (スコア:3, すばらしい洞察)
民主党をはじめ多くの野党が漫画喫茶呼ばわりしてネガティブキャンペーン張ってましたからね。本人たちは反省していないんだろう。悔い改めればいいのに!
Re: (スコア:3)
こういうのはネタとしてはいいのかもしれないが真面目なら如何なもんかな。
税金を投じてやる事業であれば批判や反対があってしかるべきで、
反対派を説得し得なかった側の責任……というものがもしあるなら責任も
あるでしょうよ。自分と意見が合わない人々に対して「悔い改めろ」と妄言を吐くのは
無意味であるばかりでなく議論の否定で、あなたが大切と思う
国営漫画喫茶を復活させるのにたいして役には立ちません。
もし本当に税を投じてやる必要があるものなら、いちどの敗北で
泣き言を連ねるんじゃなく、必要性を主張
Re: (スコア:0)
野党時代は批判してたくせに、
与党になったらクールジャパン戦略とか言って経産省に同じのことをやらせてるから、
ご指摘の内容は残念ながら説得力がゼロになっちゃってるんですよね・・・
Re: (スコア:2)
与党だとか野党だとか民主がどうのと言いたいんじゃないし、一切関係ないですよ。
違和感があるのは元コメが自分の価値観を他人が共有しているのが
当然と考えてる、その姿勢です。
たとえば例に出されてる浮世絵がそう。
浮世絵は日本では価値を認められてなかったようで、古い浮世絵は障子の破れの
継ぎ当てにされてたくらいのシロモノ。木版は削って再利用していた上、再利用が
できなくなったら単に捨てていたとか。
明治初期に、日本で浮世絵の保存をすべきだなどといえば鼻で笑われたでしょう、おそらく。
古いアーケードゲームについても、その価値について大多数の合意は得られてないという点で
Re:中途半端な活動 (スコア:0)
「多数派を説得できず悪い結果になった場合、その原因は説得できなかった少数派にある」
こんな理屈を大まじめに単純化できるほど、政治は単純ではありません。
多数派は常にニュートラルですよ。そこに少数の煽動者がいて塗り変わっていく。
そのとき扇動する目的が、その事自体に対して真面目に取り組んでいるならともかく、政治的な別の意図があって扇動しているのならば、批判されてしかるべきだろう。
その後のぐだぐだと書いているようだが「ぼくのかんがえたはんたいいけん」でしか無い事を分かっているのか?
結局「俺は多数派だ」と言っているだけ「俺は多数はだから安心して文句をいってます」でしか無い事を変わっているか?
そして意見を言う事自体を封じる論を立ち上げている事に気付いているか?
その原理主義故に、自らが少数派に置かれたときに後悔しないことを祈りますよ。