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英語圏で言うところのタイプライターは戦前からあったし、向こうでは今でもわりと沢山の作家がPCではなくタイプライターで執筆活動しているがそれをそのまま日本語で作った、およそコピー機ほどの大きさがあり、天板にあたる部分に平仮名から常用漢字が全て載った部分があり、それを鉄のペンでポチポチやってく日本語版タイプライターのせいで、日本ではタイプライターが全く普及しなかった
結果、日本でワープロが売れるのは連文節変換プログラムの誕生を待つ必要があり、つまりマイコンどころかPCの方が先だったので専用機は全く流行らなかったそれでもPC-98が50万とかしていた時代は廉価版としての価値はあったかもしれないが、悲しいことに日本ではそれは丁度、高度成長期からバブル好景気の頃だった
この時代なら単純に市場規模でワープロ専用機がパソコンを上回っていたような。
パソコンだとソフトによって対応しているプリンタが違ったりプリンタによってできることが違っててプリンタドライバがある程度面倒を見てくれるWindows時代とは大違い。その点ワープロ専用機の多くはプリンタを内蔵していたのでネイティブな制御が可能でめんどくさいことが少なかった。
プリンタ云々も有るけど、ワードプロセッサは日常的に持ち運びできる大きさ・重量だったのに対し、PCはデスクトップ機が主流だった。職場以外でも作業しやすい方が流行るのは、致し方ない。
ワードプロセッサは日常的に持ち運びできる大きさ・重量だったのに対し、PCはデスクトップ機が主流だった。
いやいや、それは、あくまでも可搬型・タイプライター型の家庭用ワープロ専用機の話で、企業や文筆家たちが使うワープロ専用機はデスクトップ型が主流でしたよ。タイプライターが型が爆発的に普及したのはワープロ専用機時代の後半ですよね。 パソコンにデスクトップ型とノート型があるように、ワープロ専用機もデスクトップ型とタイプライター型がありました。(私はデスクトップ型の「キヤノワード80」を常用しておりました。車1台買えた価格でしたけれどもね。)
その時代のMS-DOS上の漢字変換FEP(Front End Processor)は、MS-DOSのデバイスドライバーとして実装されたから、実装可能なメモリ容量が限られていて、自ずと能力が限られていたと聞く。「COMファイル」相当だから、最大ファイルサイズはせいぜい64キロバイトだったとの記憶がある(後にEMSを利用した増量は可能になったらしい)。
高見山のMY OASISもデスクトップ型(一体型だけど)でしたね。まだ結構大きかったので広告キャラに力士を使ったというアイディア。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:-1)
英語圏で言うところのタイプライターは戦前からあったし、向こうでは今でもわりと沢山の作家がPCではなくタイプライターで執筆活動しているが
それをそのまま日本語で作った、およそコピー機ほどの大きさがあり、天板にあたる部分に平仮名から常用漢字が全て載った部分があり、それを鉄のペンでポチポチやってく日本語版タイプライターのせいで、日本ではタイプライターが全く普及しなかった
結果、日本でワープロが売れるのは連文節変換プログラムの誕生を待つ必要があり、つまりマイコンどころかPCの方が先だったので専用機は全く流行らなかった
それでもPC-98が50万とかしていた時代は廉価版としての価値はあったかもしれないが、悲しいことに日本ではそれは丁度、高度成長期からバブル好景気の頃だった
Re: (スコア:1)
この時代なら単純に市場規模でワープロ専用機がパソコンを上回っていたような。
パソコンだとソフトによって対応しているプリンタが違ったりプリンタによってできることが違っててプリンタドライバがある程度面倒を見てくれるWindows時代とは大違い。
その点ワープロ専用機の多くはプリンタを内蔵していたのでネイティブな制御が可能でめんどくさいことが少なかった。
うじゃうじゃ
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:2)
プリンタ云々も有るけど、ワードプロセッサは日常的に持ち運びできる大きさ・重量だったのに対し、PCはデスクトップ機が主流だった。
職場以外でも作業しやすい方が流行るのは、致し方ない。
Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア:2)
ワードプロセッサは日常的に持ち運びできる大きさ・重量だったのに対し、PCはデスクトップ機が主流だった。
いやいや、それは、あくまでも可搬型・タイプライター型の家庭用ワープロ専用機の話で、企業や文筆家たちが使うワープロ専用機はデスクトップ型が主流でしたよ。タイプライターが型が爆発的に普及したのはワープロ専用機時代の後半ですよね。
パソコンにデスクトップ型とノート型があるように、ワープロ専用機もデスクトップ型とタイプライター型がありました。(私はデスクトップ型の「キヤノワード80」を常用しておりました。車1台買えた価格でしたけれどもね。)
Re: (スコア:0)
その時代のMS-DOS上の漢字変換FEP(Front End Processor)は、MS-DOSのデバイスドライバーとして実装されたから、実装可能なメモリ容量が限られていて、自ずと能力が限られていたと聞く。
「COMファイル」相当だから、最大ファイルサイズはせいぜい64キロバイトだったとの記憶がある(後にEMSを利用した増量は可能になったらしい)。
Re: (スコア:0)
高見山のMY OASISもデスクトップ型(一体型だけど)でしたね。まだ結構大きかったので広告キャラに力士を使ったというアイディア。